哲学者 國分功一郎さんの『中動態の世界 意思と責任の考古学』を読了。
先月(2018年9月)、銀座蔦屋で開催された絵本作家 五味太郎さんと(國分功一郎さん)のイベントの対象書籍として買い求めていた一冊。
馴染みのないタイトルに、その厚み(335ページ/注釈を含む)に、
買ってはみたが、いざ読み始めようかという段階に突入すると、尻込みするようなところもあり、
実際、一読しただけでは大学の教養課程で哲学を履修した程度のレベルとしては「難しかったなぁ」と。
” 中動態の存在を知ったのは、たしか大学生の頃であったと思う。本文にも少し書いたけれども、能動態と受動態しか知らなかった私にとって、中動態の存在は衝撃的であった。
衝撃と同時に、「これは自分が考えたいことととても深いところでつながっている」という感覚を得たことも記憶している。
だが、それは当時の自分にはとうてい手に負えないテーマであった。単なる一文法事項をいったいどのように論ずれはよいというのか。”(p327)
というきっかけに、経緯から、機が熟して2017年4月に上梓された著書。
中動態と、哲学者たちの叡智
著者 國分功一郎さんの