「横浜DeNAベイスターズ」カテゴリーアーカイブ

齋藤隆さんがメジャーリーグに挑戦し体現した進化:『37歳で日本人最速投手になれた理由  これからの日本野球』読了

NPBでは横浜大洋ホエールズ(現 横浜DeNAベイスターズ)を振り出しに、海を渡りMLBではLos Angels Dodgersなどで活躍された齋藤隆さんの『37歳で日本人最速投手になれた理由  これからの日本野球』読了。

(2025年)3月に開催された

<< 2025年3月23日投稿:画像は記事にリンク >> 元メジャーリーガー齋藤隆さんのクールで熱いハートを直に感じてきた:『37歳で日本人最速投手になれた理由』発売記念イベント 参加記

発売記念で入手していた著書。

この本は

” 野球人生の終わり方に悩んだ日本人プロ野球投手が、メジャー行きを決断し、今日が最後になるかもしれないと歩み続ける中で、野球という競技を通してしか起き得なかった奇跡の連続を綴ったものだ。”(p11)

という重み伝わる一文が冒頭に記された齋藤隆さんの回想録。

全238ページに

 第1章  36歳のメジャーリーグ挑戦

 第2章  37歳で日本人最速投手になれたトレーニング

 第3章  パドレスのインターンになる

 第4章  アメリカで学んだ野球ビジネス

 第5章  日本野球の未来を考える

 第6章  NPBでの戦い ー 選手、コーチとして

 第7章  齋藤隆ができあがるまで

の章立てに沿って、多岐に渡る内容が密度濃く綴られているのが印象的。

特に刺さってきた箇所を以下に抜粋すると

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元メジャーリーガー齋藤隆さんのクールで熱いハートを直に感じてきた:『37歳で日本人最速投手になれた理由』発売記念イベント 参加記

渦の中にいたわけではないものの報道等から凄まじいばかりの熱量を感じたLos Angels Dodgers:ロサンゼルス・ドジャースと Chicago Cubs:シカゴ・カブスが来日してのMLB開幕戦 MLB Tokyo Series が終了し喪失感のような感覚を抱く中、

いざイベント会場の書泉グランデ 7Fへ〜

NPB(当時)横浜ベイスターズ(現 横浜DeNAベイスターズ)にLos Angels DodgersらMLBでも活躍された齋藤隆さんの著書『37歳で日本人最速投手になれた理由 』発売記念イベントに参加。

最前列中央に陣取れた巡り合わせから齋藤隆さんとやり取り出来る幸運を🙏

齋藤隆さんはMLB Tokyo Seriesでハンバーグ師匠こと井戸田潤さんらパブリックビューイングに登壇されたそうで、対戦を終えての所感(ドジャースが強かったのか、カブスが弱かったのか。今永昇太投手降板に関してetc)やスタッフから静止を受けたとのイベント記といったお話しから

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村田修一さん × 川﨑宗則さんトークショー&スリーショット撮影会 参加記

昨年(2023年)末のイベント告知で「!」となった 村田修一さん x 川﨑宗則さん トークショー&スリーショット撮影会に参加。

2023年11月高橋由伸さんトークショー&ツーショット撮影会以来のメディアドゥセミナールーム(手に持っているのは配布された栃木ゴールデンブレーブス村田修一選手&川﨑宗則選手のカード)

「!」となったポイントは、川﨑宗則選手との撮影会をレアに感じたため。

2016 >> 2024

川﨑宗則選手といえば、遡ること8年前〜 雪が積もる最中の福岡に空路降り立って飛参加した

<< 2016年1月25日投稿:画像は記事にリンク >> 川﨑宗則選手に会いに大寒波襲来の福岡まで行き、もっとファンになって東京に帰ってきた:「ムネリン(川﨑宗則)を囲む会」参加記

ムネリンを囲む会」が先ず以て思い出されるところ。その時(前回)はMLB挑戦の真っ只中で、現在は

登壇直後のお二人:近しい関係性伝わった村田修一さんと川﨑宗則選手

(通称)BCリーグ傘下の栃木ゴールデンブレーブスでステージは変われどいまだ現役という「らしさ」伝わる見事なキャリア。

村田修一さんの方は現役を退かれ、現在は千葉ロッテマリーンズの一軍打撃コーチという立場。

今まで幾度も(元)プロ野球選手関連のイベントに参加してきましたが登壇2人というのは思い出されず、会場入りすれば讀賣ジャイアンツOBという経歴からオレンジ色のタオルが散見されるなど村田修一さん目当てと思わしき方も目立ち、川﨑宗則選手と人気二分といった様子。

お二人の共通点といえば侍ジャパンで日の丸を背負ったキャリアに、既述の栃木ゴールデンブレーブス在籍といったところ。

タイプ異なれど共通する姿勢と交差する考え

トークは村田修一さんが一つ年上ということで、ほのかに上下関係を感じつつも、お互いのキャリアに敬意を払いつつ

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谷繁元信さんが振り返った強打者たちとの戦譜:『谷繁ノート 強打者の打ち取り方』読了

横浜大洋ホエールズ(現 横浜DeNAベイスターズ)、中日ドラゴンズで活躍された谷繁元信さんの『谷繁ノート  強打者の打ち取り方』を読了。

サイン本購入機を捉え

ギリギリのタイミングで入手叶ったサイン本

入手していた一冊。

打撃職人たちとの攻防

本書は

“「こういうタイプの打者には、こんなリードをするんだよ」と机上で語っても、あまりに漠然としていて理解するのは難しいだろう。

ならば、具体的に選手を抜粋して、攻略するほうが、実践的で現実味がある。

私が現役時代に対戦した「打点王」「首位打者」「本塁打王」「盗塁王」を中心に、並いる強打者・巧打者に絞って40人に厳選した(私がずっとセ・リーグに在籍していたため、セ・リーグの打者が中心となってしまうことをお許しいただきたい。)”(p4-5)

との前提から上梓された著書で、俎上に上げられたのは

” 打席に入るとき、必ず「わかっているな」と捕手の私にひと言。つまり、「シュートを投げさせるな」ということ。若い私たちはバッテリーは結果を出さないと次がないので、困ったらシュートの連投だったが・・・(笑)。(50打数9安打、打率.180)”(p25)

という稀代のスラッガー落合博満さんに始まり、

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NPBに名を残した至高のバットマン 内川聖一さんトークショー&ツーショット撮影会 参加記

今週2日目のプロ野球選手登壇イベントで

<< 2022年11月15日投稿:画像は記事にリンク >> 元読売ジャイアンツ 斎藤雅樹さん、村田真一さん「書籍お渡し&3ショット写真撮影会」参加記

再び大手町(サンケイプラザ)を訪れ、

中一日で ^^ 再び大手町サンケイプラザへ

今回の目当ては(2022年)10月、22年に及んだNPBでの現役選手生活に終止符を打った内川聖一さん。

在籍された横浜DeNAベイスターズファンでもなく、福岡ソフトバンクホークスファンでもなく、東京ヤクルトスワローズファンでもない自分が、今回行ってみようと思ったのは

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横浜DeNAベイスターズ 池田純前球団社長が、主催ゲームをプラチナムチケット化させたまでの思いと実行されたアクション:『空気のつくり方』読了

前々回、中間記をアップロードした

<< 2018年6月24日投稿:画像は記事にリンク >> 横浜DENAベイスターズ 池田純前球団社長が、主催ゲームをプラチナムチケット化させたまでの思いと実行されたアクション:『空気のつくり方』中間記

横浜DeNAベイスターズ 池田純前球団社長の『空気のつくり方』を読了。

(中間記後)読み進めたのは、

 第5章 コミュニケーションのつくり方

 第6章 センスの磨き方

の2章。

マーケティングを支えるコミュニケーション

コミュニケーションに関しては、

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横浜DeNAベイスターズ 池田純前球団社長が、主催ゲームをプラチナムチケット化させたまでの思いと実行されたアクション:『空気のつくり方』中間記

横浜DeNAベイスターズ池田純前球団社長の『空気のつくり方』を読み始めて

 第1章 最下位なのに満員なのはなぜ?

 第2章 顧客の空気を知る

 第3章 世の中の空気を知る

 第4章 組織の中に戦う空気をつくる

 第5章 コミュニケーションのつくり方

 第6章 センスの磨き方

と章立てされているうち、第4章まで読み終えたので、そこまでのおさらい。

オビに並ぶ著名人の推薦文

「空気」の正体

まず、最初の「はじめに」で、

” 空気のつくり方 ー。

それは、企業を、商品を、自身の成し遂げた仕事を、世の中に「成功」と認識してもらうための秘訣です。”(p3)

と前置きがあり、池田純さんが、横浜DeNAベイスターズ球団社長に就任されてから

連日、本拠地横浜スタジアムでは閑古鳥(=空席が目立つ状態)が鳴き、球団経営も赤字体質が常態化する中、

観客動員は・・

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