伊東勤さんが振り返った西武ライオンズが強かったわけ:『黄金時代のつくり方 あの頃の西武はなぜ強かったのか』読了

現役選手時代 西武ライオンズ(現 埼玉西武ライオンズ)で中心選手として黄金期を築いた伊東勤さんの『黄金時代のつくり方  あの頃の西武はなぜ強かったのか』を読了。

サイン本に反応し購入

(2025年)2月、ふらっ〜と立ち寄った書店でサイン本を見つけ即反応していた次第。

本書は

” ありがたいことに、私には「西武黄金期の正捕手」「常勝西武の司令塔」といった「まくらことば」があります。

元プロ野球選手にとっては、監督やコーチといった指導者になるにせよ、テレビやラジオで野球中継の解説をするにせよ、新聞や雑誌で記事を書くにせよ、わかりやすいキャッチフレーズやまくらことばがあるのは大きなメリットです。

西武黄金期の正捕手 ー。

・・中略・・

本書では、そんな仲間たちや指導者たちと一緒に築き上げた「西武ライオンズ黄金時代」について、あらためて語ろうと思います。

私たちが心血を注いだ「西武ライオンズ」とはどんなチームだったのかを、余すことなく語ろうと思います。”(p5-6)

というタイトルに沿った前提のもと、

” 簡単にバントをさせないシフト、あえてバントをさせて先の塁でアウトにしたり、ダブルプレーを狙ったりするシフト、1シーズンに一度使うか使わないかといったフォーメーションも綿密に練習を繰り返します。できなかったときは怒声や集中砲火を浴び、交代を命じられたり、やり直しを命じられたりします。”(p38)

” なんらかの理由で、相手バッテリーの意識が走者に向かなくなるときがある。その一瞬を見逃さず、一発でスタートを決めて、盗む。それが本当の意味での「盗塁の極意」だと、当時の西武の選手たちはわかっていました。”(p67)

といった強さを支えた礎に関する記載あれば、

” 1985年の日本シリーズ終了後、確か選手全員で治療を兼ねた1泊の伊香保温泉旅行に出かけたバスの車中に「広岡監督は今年いっぱいでユニホームを脱ぐことになりました」と連絡が入ったんです。みんなワーッって大歓声を上げて、さらに万歳三唱したんです、今でもはっきり覚えています。”(p41)

とあまりの厳しさに選手たちと溝が生じていた広岡達朗監督の去就に関する生々しい回想に、

” 特にショッキングだったのが、私が力説していた「試合終盤の1点の重さ」という前提条件が、韓国野球には存在しないということでした。

その理由は、圧倒的に選手層が薄すぎるのです。  ・・中略・・

これでは、私の説明に対して「意味不明」みたいな顔になるのは当たり前ですよね。放っといても点が入るのに、バントしてアウトを差し出すお人好しはいません。その実態を知って、早々に日本式の考え方を捨てて、小技がどうこうと言うのはやめることにしました。”(p149)

とタイトルの西武ライオンズ黄金時代から内容が外れ、韓国プロ野球(KBO)のコーチ経験などのお話しも後半言及されていて、

購入本に書かれていたサイン

私自身の野球熱が最も高かったであろう時期の「常勝西武」の内幕に、伊東勤さんのさまざまな立場から培われた野球観に、ちょっと深い部分の野球論を興味深く読み進めることが出来ました。


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