「今年(2025年)はないのかなぁ」と早合点し油断していた7月下旬に発表されていた、伊藤政則さんが近年9月 タワーレコード渋谷店 B1F CUT UP STUDIO にゲストを迎え繰り広げるトークイベント政則十番勝負、

ラインアップを確認・・「これは〜!!」とさせられたのが、最終日(10日目)の「ジョン・サイクスを語る」。

Facebookグループ John Sykesっていいね!倶楽部の 運営という立場での使命感も抱き、秋分の日 2年ぶりで CUT UP STUDIO へ。

伊藤政則さんと向かい合う形で腰を下したのは Nothin’ But Trouble 以来、レーベルのJohn Sykes担当として接してこられた(元 Universal Music )安田秀明さんに、1984年及び Nothin’ But Trouble 以降写真家として数々撮影されてきた Willaim Haymes:ウイリアム・ヘイムスさん。

話しは突然といった形で飛び込んだ1月下旬の訃報への受け止めから、安田秀明さんが伊藤政則さんとのやり取りで思い出されたという Nothin’ But Trouble Japan Tour (1993/12/3- 12)開催後にメンバーが残って河口湖畔のスタジオに場所を移し制作された Screaming Blue Murder:Dedicated to Phil Lynott の舞台裏(Ozzy Osbourne TRIBUTE を念頭、歓声のオーバーダビングを巡っての対立 etc)へ。
ウイリアム・ヘイムスさんは、日本企画となった Loveland 制作時の Los Angelsに飛んでの撮影時の回想をはじめ、13、4回に及んだという接点の中で印象的なシーン(愛車HUMMERで撮影現場登場、仮 Sy-Ops へ向け自宅スタジオの改装 etc)が取り上げられました。

遺された功績と、日本と築かれた特別な絆
John Sykes 追悼ということでは、6月

広瀬和生 BURRN!編集長と増田勇一さんによるトークイベントがタワーレコード横浜ビブレ店で開催され、この時はお二人が直接John Sykesと面識なかったという立場から公になっている情報軸に、知る人ぞ知る情報が加味されていくという形でしたが、
今回は幾度もJohn Sykesと接してこられた方々であることからJohn Sykesと接した際の肌感、人間性についての話しが時間が経つほど身体に響いてきました。

全体で90分弱に及び、イメージとしては Blue Murderを率いた1stアルバムの印象が個人で色濃いですが、日本市場では 15万枚を売り上げたという Nothin’ But Troble から日本との関係性が特別なものに昇華されていったという経緯に、オンとオフ(優しい人だったが音楽に関しては頑固だった / ファンとの交わりは時間、場所を惜しまなかった)での切り替わり等、初めて知る話しも多く、ファンとして感慨深いひと時を過ごしてくることが出来ました🙏