柔道家 大野将平さんの
” 人間形成の上で大切なことは、もちろん持って生まれた素質もあるが、どんな環境に身を置くか、その中でいかに自分を向上させようとするかが大きいと思う。本著では、ある意味で常識外れな私の半生を、飾ることなくお伝えできればと思っている。”(p7)
という現役生活時代の足跡が綴られた半生記『ラストサムライ』を昨日読了。
オンラインで

サイン本が販売されているのを見つけ、柔道の門外漢(の私)でもその名がしっかりと刻まれていた柔道家に関する著書であったことから内容への興味も強く購入していた経緯。
本書は
第1章 負けず嫌い[幼少時代]
第2章 愚直[中学・高校時代]
第3章 我慢[大学時代]
第4章 真っ向勝負[旭化成入社〜リオデジャネイロオリンピック]
第5章 圧倒的から絶対的へ[東京オリンピック〜現在]
という章立て(別途、プロローグ、エピローグ、終わりは始まり)に沿い、
” 私が弱かったという話は、ここまでも繰り返し書いてきた。小学4年の時から出ていた団体戦の全国大会では、女子選手に敗れたこともあった。”(p34)
と強かった兄上の背中を追う形で始めた柔道。中学生になると親元を離れ、
” 講道学舎は1975年(昭和50年)、建物塗装などを手がけるダイニッカ株式会社の創業者、横地治男さんが立ち上げた財団法人「日本柔道育英学会」が運営した全寮制の柔道私塾だ。”(p38)
と覚悟を決め飛び込んだ環境で「地獄」と振り返る過酷な環境に身を置きながら、なかなか頭角を表せない中、
” 治也先生は世界を見据え、組み合わない展開でも投げにいきやすい大外刈の重要性を我々に説いた。この技は主に力自慢の大型選手が使うもので、先生も重量級に向けて講義していた。軽量級だった私は、その他大勢の1人でしかなかった。
ただ、その大外刈は、私は治也先生に教えてもらった初めての技だった。うれしかった。というより、自分にはこれしかない。もう直感的に思った。”(p60)
という転機を経て、我々が広く知る オリンピック 柔道男子73kg級 2016 リオ/ 2022 東京 金メダル獲得までの軌跡が、生々しく振り返られています。

印象的であったのは、
” 初めての世界選手権で金メダルを獲得し、世界チャンピオンとなった私は、2013年9月4日午前、ブラジル・リオデジャネイロから羽田空港に帰国した。しかし、待っていたのは祝福や賛辞の声ではなく、戸惑いと刺すような周囲の視線だった。”(p109)
3年後のリオデジャネイロ五輪へ向け弾みをつけたかったところ在籍していた天理大学柔道部で発生した暴力事件の責任を負う形で一旦表舞台から距離を置かざるを得なくなり奈落の底に突き落とされた日々の心の動きに、
” 日本代表として活動した10年間で、2本で組んで正しく投げるという文化は国内外に広まったと思う。柔道そのものの強さと試合で勝つことが乖離していた時代は終わり、IJFのルールも立ち技での決着を重視する方向性に変わった。
自分の柔道スタイルを貫いてきたことが、一つの競技のスタンダードやルールの変化に影響を与えられたとしたら、素直にうれしい。”(p206)
に、
” ある日、治也先生から「おれがやりたい柔道をお前に押しつけてしまった。申し訳なかった」と謝られたことがある。”(p232)
と生涯の恩師と慕う先生から認められた、貫かれた柔の道。
” 負けた時こそ、人間の真価が問われる。
勝った時には、勝者は相手に思いやりを持たなければいけない。敗れて傷ついている相手の前で、いたずらにガッツポーズをしたり、喜びをあらわにしたりする必要はない。”(p203)
といった読みどころのマインドセットを含め、だからオリンピックの時など限られた機会に柔道と接点を持つ私でもその存在がしっかり刻まれていたのだと大いに納得させられました。











