大下英治先生が描いた力道山の生涯:『力道山の真実』中間記

作家 大下英治先生が、昭和のレジェンド力道山の生涯を描いた

『力道山の真実』を読み始めて全388ページあるうち、半分程度(〜p192)読み終えたので、そこまでのおさらい。

先日記事にした↓通り、

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力道山について知っていることは、名前くらいといったレベルでしたが・・

” 出身地は、現在の朝鮮民主主義人民共和国である(中略)力道山の本名は、金信洛。”(p18)

というバックボーンから、

大相撲の世界で

” 理由なき民族差別のまっただなかで、力道山が胸を張って生きぬいていくためには、出世するというほかに道はなかった。”(p19)

” 常識では考えられぬことを人に強い、この野郎と思わせて相手の闘争心をかきたてる。

返す刀で、おのれに対しては、血走った相手に挑戦状を叩きつけられたときのようなどん詰まりに追いこんで、火と燃えあがらせた。(中略)

力道山は、まさに修羅の男であった。”(p17)

といった気性、反骨心からめきめきと頭角を表していったものの

” 医者からは、「元気になるまで八年はかかる」といわれ、入院を余儀なくされた。だが、ジストマなど日本ではほとんどはじめてといっていい病気であった。

薬にいたっては、日本になかった。ジストマにきく特効薬は、アメリカからとりよせなければならなかった。”(p41)

と病魔に襲われ、周囲から期待していたような支援を得られず、

 ” 関脇まで進み、大関を目前にしていた人気力士の断髪式が、まさか真夜中の自分の家で、みずからの手によってひっそりと、もがき苦しみながらおこなわれるとは当時の人々はだれも思わなかった。

力道山は、その場に立ちすくみ、声をころしてひとしきり泣いた、”(p51)

と相撲界と訣別し、やがてプロレスに出逢い、その可能性を信じ、周囲を説得して、何とか国内で興業を実現させたところ・・爆発的な反響を得たというところまで。

多面的に描かれている力道山の人間性

本を読み始めるまでは豪快、傍若無人といった人物像を頭に描いていましたが、

相撲界では人に妬まれるほど人に慕われていたり、または(上記で)引用したような苦悩であったり、或いは時代を切り拓く才覚であったり、

力道山が辿った生涯が、人間性と深く交差する形で描かれており、人物を知るプロセスを興味深くなっています。

これから時代を象徴する存在に上り詰め、力道山が(時代の寵児として)見た景色などに触れていくことが楽しみです。


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