工藤美代子さんが迫った神格化された伝説の横綱 双葉山関の実像:『一人さみしき双葉山』読了

先日、中間記↓をアップロードした

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『一人さみしき双葉山』を読了。

木鶏に込められた思い

まず、双葉山関が神格化されたのには

” 昭和十六年、日本は太平洋戦争に突入し、およそレジャーと名のつくものは禁止され国民は耐乏生活を強いられた。その中にあって、相撲だけは国技として大衆の人気を一身に集めた。”(p205)

という時代背景があった。

双葉山関についてまわる連勝記録が六十九で途絶えた際の「イマダモッケイニオヨバズ」の一文が発せられたのは、

” 相撲は借金を返済したり、飯を食う手段であったのが、勝ち進むうちに「完全な徳」を必要とし、「無意・無念・無凝滞」の境地を求めるようになった。

それは、戦時下の世相が、一力士を英雄に祭り上げ、最高の徳を備えているべきだという形で、国民のお手本たることを要求した、とも考えられる。

・・中略・・

しかし、超人的な意志力があったとしても、そんな完璧な境地など、二十六歳の青年に獲得できるはずがない。

勝っても負けても、双葉山は生き地獄にいた。地獄にいるからこそ格闘技は続くのである。

本物の木鶏に応戦する鶏はいない。木鶏になりきれない鶏が、うごめきながら戦っている世界が、すなわち相撲界であったはずだ。

双葉山の姿はわけ知らず人の心を打ったという。

それは、彼が単に六十九連勝を続けたからというだけではなく、木鶏になれると思い込んでひたむきに土俵を闘う姿の故でなかっただろうか。」”(p180)

という経過が辿られ、そこから著者の工藤美代子さんが取材を進めれられた中で導き出された結論(/仮説)が、上記(引用文)に込められているように感じています。

大横綱 双葉山を実現させたもの

力士として

” 後年になって、なぜ急に強くなったかと問われた双葉山は、「そりゃ目標に向ってけいこに励んだことにあるが、

今になって考えると右目が不自由していたこと、それから早くから有望力士として騒がれなかったこと、また、腕力の弱いことをはっきり自覚していたこと、

これは体力のないことを知って、けいこでカバーしようとしたことにあるのではないか」(池田雅雄著「双葉山定次伝」)と答えている。

力士としての双葉山は人並以上の多くのコンプレックスをかかえていた。このコンプレックスが簡単には人気の波に乗れない性根を作り、彼を大成させたともいえる。

やや人気が先行した感じだった双葉山が、本当の自分と、偶像としての自分のギャップをようやく埋めたのは、横綱になった後と思われる。”(p147)

必ずしも恵まれていた天分を与えられていなかったにもかかわらず、ハンデを上手く糧として一つ一つ克服していった過程には、それを支えた(正妻ではない)年上女性の存在であったり、

引退後、世間を騒然とせた璽光尊事件では、神格化された陰で、人並み(或いはそれ以上)に苦悩し、自分の外に拠り所を求めた経過、形跡が本書を通じてよく理解でき、

本書を読む前は、双葉山関を理想の日本人の体現者ほどの捉え方をしている部分がありましたが、等身大の双葉山関を知ることが出来たように思っており、時代を築いた人物に関する読み物として興味深かったです。


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