「いったい何人候補者なんだよ・・」と

(機を活用し、さまざま専門家の見解に耳を傾ける効用有り)リストが膨大化していたChicago Bears:シカゴ・ベアーズで空席となっていた第18代 HC:ヘッドコーチの座が、
「いったい何人候補者なんだよ・・」と
(機を活用し、さまざま専門家の見解に耳を傾ける効用有り)リストが膨大化していたChicago Bears:シカゴ・ベアーズで空席となっていた第18代 HC:ヘッドコーチの座が、
年始後の三連休が過ぎ、世が次第に平常化する中、先週末(2025/1/19)
目黒ライブステーションで開催された【 Welcome To The Kyo-house Vol.173 特別編 】’Char’MER’s SNAKE Fes Vol.2 へ。
Whitesnake軸に構成された6バンドというラインアップで、John Sykes Fan Convention等でご尽力頂いている仲間から一昨年から構想を聞き一旦延期を経て、再調整された日程をロックオンして迎えた当日。
目当ての King of the Snake がトップバッターということで、開演時間20分ほど前に会場入り。客席でご無沙汰であった方と歓談するなどして、定刻を迎え場内暗転。
Whitesnakeトリヴュートということでも照準が合わされたのが、80年代のロック好きのアイコンとなっている Super Rock ’84 –
原体験をしていませんが、80’sの一番洋楽にRockが熱かったであろう雰囲気が場内に広まり、
続きを読む Super Rock ’84 を再 追体験:’Char’MER’s SNAKE Fes Vol.2 〜 Reach for Heaven 〜 観覧記
2025年を迎えまだ20日余りながら驚かされた訃報に、医師の診断次第では・・ といった状況に直面し、そういったことに考えを及ばされていましたが、3週間が経過しようかというタイミングで飛び込んできたJohn Sykesの訃報。
朝、一連の流れに沿って出掛ける前にパソコンを立ち上げ、Facebookにアクセスしたところ最上部に久々John Sykes オフィシャルページからの投稿が表示。
最初てっきりLos Angelesの山火事に絡んでの無事報告といった先入観から内容を確認せず Facebookページ John Sykesっていいね!倶楽部に反射的にシェアした後、文面に目をやれば・・
日本にとどまらず海外でもファンを獲得しているスリーピースロックバンド人間椅子を率いる和嶋慎治さんの『無情のスキャット 人間椅子・和嶋慎治自選詩集』を先週末(2025/1/18)読了。
サイン本入手機会を捉えて手元に引き寄せた著書。本書は先日アーカイブ視聴した刊行記念イベントでのご説明によると、
出版社の百年舎からオファーを受け人間椅子デビュー35周年という節目と絡め出版に至ったという経緯であったかと承知。
第一章 デビュー前
第二章 1990 ー1993年
第三章 1995 ー 1998年
第四章 1999 ー 2003年
第五章 2004 ー 2007年
第六章 2009 ー 2011年
第七章 2013 ー 2017年
と年代によって章で区切られ、期間内に発表された曲の歌詞が掲載される前に各2ページで
昨年(2024年)末、講演されている映像は見たことはあったけど、イベントイメージ乏しい栗山英樹前侍ジャパン監督の出版記念トークショー&サイン会情報に接し、
「これは〜!」と後日の発売時刻に合わせスタンバイして確保叶い、楽しみに迎えた1月の折返し日での2025年のイベント始め。
参加者と報道陣半々といった会場内で定刻を迎え栗山英樹さんが登壇。
一目で受けた印象ではアスリート然というより、一般人と変わらぬ体格で颯爽と登壇され、雰囲気は抱いていた通りソフトそのもので社交性溢れる語り口から瞬時に親しみやすさを ^^
トークでは就任されて1年になろうかという日本ハムファイターズでのCBO(チーフ・ベースボール・オフィサー)で取り組まれていること(ex. フロント業務が多岐に及ぶ中で選手の細かい要望に耳を傾ける等)に、
イベントの中心である出版された著書に関してのエピソード(ex.ご自身では栗山レポートと捉えていて、時間が経つと事実認識が変わったしまうところ当時の思いをそのまま書き留めた )や
” AC/DCのアンガス、マルコムのヤング兄弟が子供の頃に住んでいた家が突如取り壊された件で、開発業者が声明で謝罪しました。
この建物が文化的に重要なものであることを知らなかったと主張。彼らは解体現場から資材を回収し、AC/DCのファンが集まるバーやカフェのような特別な場所を建設する計画を発表しています。
取り壊されたことはオーストラリアのニュース・サイトnews.com.auが最初に報じました。
ヤング兄弟はスコットランドのグラスゴー生まれですが、ヤング一家は1963年にオーストラリアのシドニーに移住しました。
いくつかの家を転々とした後、1965年にシドニー西部の町バーウッドのバーレイ・ストリート4番地にあるこの家に引っ越し、兄弟は幼少期をこの家で過ごしました。兄弟はこの家から学校に通い、その制服はバンドのステージ衣装のインスピレーションともなりました。
news.com.auによると、この家は2023年2月に580万ドルで売却され、ここ数週間の間で取り壊されました。
この建物は2013年にオーストラリアのナショナルトラスト(※歴史的建築物の保護を目的として設立されたボランティア団体)の歴史的建造物登録簿に登録されていましたが、開発業者のバーウッド・スクエア社は取り壊す前に、その文化的な重要性について知らされていなかったと主張しています。
バーウッド・スクエア社のゼネラルマネージャー、レオン・キミタは公式声明で謝罪しました。
「バーウッド・スクエアのチームを代表して、心からの遺憾の意をお伝えしたいと思います。私たちは今、この場所が世界中のAC/DCのコミュニティやファンにとって、どれだけ深い意味を持つかを認識しています。
このスペースの計画を立てる際、私たちは遺産登録を調べたり、その分野の専門家と協力したりするなど、適切なデューデリジェンス(適正評価手続き)を行いました。
残念ながら、AC/DCとの歴史的なつながりは、その段階では特定されていませんでした。以前の長期にわたる所有者が、この物件の背景における重要な部分を私たちと共有していなかったことを残念に思います。
計画がすでに進行中であった後に、このつながりを知ったことは私たちにとって衝撃的な出来事でした。この見落としについて、心よりお詫び申し上げます。
AC/DCのレガシーを称え、このバンドを非常に高く評価しているすべてのファンに償いをすることが、私たちの強い責任だと感じています。
過去を変えることはできませんが、私たちは彼らの物語のこの重要な部分を祝うことに専念しています。AC/DCの世界中なファンの皆さん、私たちは皆さんの声に耳を傾けており、この伝説的なバンドへの深い敬意に感謝しています。私たちは、この問題の解決に全力を尽くします」
声明では、解体現場から資材を回収し、AC/DCのファンが「バンドの不朽のレガシーを祝うために集まる」バーやカフェのような「特別な場所」を建設することで、その歴史的な重要性を尊重する計画を立てているとも述べています。
また、地元の市議会は、今回の取り壊しとファンの反発を受けて声明を発表。この建物がナショナル・トラストの歴史的建造物登録簿に記載されていたにもかかわらず、地方や州の法律では保護されていないことを強調しています。
「この建物は文化遺産として登録されておらず、地元や州法で保護されていません。また、ナショナルトラストは地域に根ざした非政府組織であり、法的権限を持たないため、この建物には強制力のある保護がありませんでした。バーウッド市議会は、ヤング家とこの地域の豊かな音楽遺産を祝う新しい方法を見つけることに引き続き尽力していきます」”(出典:amass)
続きを読む オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:AC/DCヤング兄弟の子供の頃の家が取り壊された件で開発業者が謝罪
(2024年)12月中旬に積み上がっていた
11月購入積読5冊を読み終え、新たに積み上がりし、
2024年12月購入積読4冊。
今回もすべてサイン本。イベント参加で2冊、タイミング良く入荷情報に接して2冊という経緯。
お笑いコンビ霜降り明星 せいやさんの初著書『人生を変えたコント』を読了。
(2024年)11月末の前田健太選手イベント後、ふら〜っと立ち寄った書店でサイン本を見つけ、
即反応していた経緯。
本書は
” イシカワは「この学生時代の経験をいつか本にしたい。文字に書いて本に出したい」そう思っていた。
同じような境遇の人たちに、ひとりでも多くの人たちにこの経験を話したい。そして今、2024年。32歳になったイシカワはこの本をあなたに読んでもらっている ー “(見返し/ 註:せいやさんの本名 = 石川晟也)
との思いから実に17年の時を経て出版に至った半自伝小説。
その内容は、