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古田敦也さん(元 東京ヤクルトスワローズ)に学ぶ、才能を力に変える考え方と努力:『うまくいかないときの心理術』刊行記念 古田敦也さん講演会 参加記

プロ野球(NPB)、東京 ヤクルト スワローズで選手、監督の立場で活躍された古田敦也さんの

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場所は1月下旬の高橋慶彦さん キャンプ直前 トーク&サイン会以来の八重洲ブックセンター

新刊『うまくいかないときの心理術』刊行記念講演会 に行ってきました。

当初、キャッチャーからピッチャーにかける言葉を題材にした出版の企画であったようですが、

100語とのオファーが15語あたりで止まってしまい、古田敦也さんがプロ野球に入ってくる選手たちを見てきた中で

上手くやっている人、力はあるのだけれど上手くいかない人の違いが分かるようになり、

そういった視点で本が仕上げられていったようです(まだ、未読のため詳細について把握していません)。

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高橋慶彦さんのトークがざっくばらん過ぎて楽しかった:「赤きレジェンド 高橋慶彦さん キャンプ直前 トーク&サイン会」参加記

2月1日にキャンプインを迎えるプロ野球の節目を迎える直前のタイミングで、高橋慶彦さんのトーク&サイン会に参加してきました。

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100名の枠が告知後間も無く捌けるという人気振り.-

慶彦さんのイベントは通算3回目となり、これまではフリーのお立場でしたが、今回はオリックス・バファローズに打撃コーチの肩書き付き。

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昨秋、オリックス・バファローズ打撃コーチに就任された高橋慶彦さん/出典:日刊スポーツ(画像は記事にリンク)

それでも100名満席となった席の大半は、広島東洋カープ時代、若しくはカープOBとして慶彦さんを捉えられており、

カープに関する話題が6割程度。他は球界全体、バファローズ、プライベートなど。

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山本浩二さんがミスター赤ヘル、指導者としての野球史を総括した自叙伝:『野球と広島』読了

先日、トーク&サイン会に出席した・・

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<< 2015年8月18日投稿:画像は記事にリンク >> 山本浩二さん、ミスター赤ヘルのトーク&サイン会で広島東洋カープの栄光と現在を感じてきた。

ミスター赤ヘルこと元広島東洋カープの山本浩二さんの著書『野球と広島』を読了。

 

サラッと読めるかなと思いきや217ページに及ぶ分量で、読み応えありました。

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山本浩二さん、ミスター赤ヘルのトーク&サイン会で広島東洋カープの栄光と現在を感じてきた。

ミスター赤ヘルこと、長く広島東洋カープで主軸、現役を退いてからも指導者として現場を牽引された山本浩二さんのトーク & サイン会に参加。

著書の上梓に合わせて企画されたもので

場所は、昨年(2014年)元広島東洋カープの高橋慶彦さんのサイン会と同じく八重洲ブックセンター。

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八重洲ブックセンターのイベント告知板

慶彦さんの時は、サイン会(希望者は写真撮影可)で150名程度の開催規模ではなかったかと思いますが、

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<< 2014年2月17日投稿:画像は記事にリンク >> 高橋慶彦に会えたのが嬉し過ぎた

今回は、8Fのセミナールーム内の開催でトークショー付き。限定80名との事で、早々に満席となる人気振り。

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八重洲ブックセンター8階の講演会場

参加のきっかけは月初、銀座方面への出掛けた際の帰り道に店内へ立ち寄り、運良く本イベントの開催を知った次第。

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坪井智哉、天才と称されながら最後は住む場所まで奪われたプロ野球人生

今週、Yahoo!のトップページで知った阪神タイガース等で活躍した坪井智哉選手引退のニュース。

失礼ながら現時点でも現役生活を続行している事は頭に入っていませんでしたが、直近は過酷な現役生活であったようで記事(下記)を目にして、少なからずの衝撃でした。

■ 阪神、日本ハムなどで活躍の坪井智哉が引退表明

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鮮烈なデヴューから一転・・

坪井選手というと、多くのファンにとってはイチロー選手と同じ形容のされ方であった振り子打法で、華々しく阪神タイガースでデヴューを飾った頃の鮮烈が強いものと思います。

トレードで阪神を離れてからは波瀾万丈で、記事等で取り上げられる機会は、デヴュー当時の栄光との対比という視点であった事が多かったものと。

上記、記事から引用すると・・

“トライアウトを経て2011年はオリックスで1年間プレーしたが、そのオフに再び戦力外となると米国独立リーグでのプレーを選択した。

1年目は足の肉離れ、2年目は肩を痛めて、満足な結果を残せなかったが、昨年オフに肩を手術。

今シーズンは「独立リーグの中でも最もメジャーに近い」といわれているアトランティックリーグのペンシルバニアに本拠地を置くランカスターと契約を果たした。”

と厳しいながらも、夢に近付いている現実も読み取れますが、

“ある試合で一塁に出塁して偽装スタートを何度か切ったが、ベンチに帰ると「打者が集中できないから、走る格好などするな」と怒られた。

2週間を過ぎたところで出場選手登録そのものを抹消された。”

と、こういった細かい芸当を好む人もいれば、特に主力打者の時にこういった事をすると、チームメイト間でも亀裂が走る原因となって

実際、現在、横浜ベイスターズに在籍している中村紀洋選手の場合は幾度となく衝突を起こしている印象。

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度重なる試練・・

話しを坪井選手に戻して・・

“登録を抹消された選手は、遠征には帯同が許されず、ホームのゲームでは、一塁コーチャーズボックスに立たされる。

しかも、攻守交替時には、ひと周り以上も年下の選手に「かたずけておけ」とばかりにポーンとヘルメットを投げられる。「アメリカまで来て俺はコーチャーズボックスで何をしてんだろう」と、強い孤独感と空虚感を覚えたという。

坪井は、それでも、ひたむきに「いつかチャンスがくる」と練習を続けて再登録機会を待ったが、さらなる試練が襲い掛かる。

独立リーグでは、チームや選手によって契約形態は多少違うが、球団が選手に住居を供給している。

低予算のためモーテルの部屋を何人かの選手でシェアするようなケースも少なくないが、ランカスターの場合は、協力してくれる地元の人の家に選手をホームステイさせる形をとって選手の経済的な負担を解消していた。

だが、坪井は、当初からホームステイ先を与えられず、「やっと決まったぞ」と伝えられた家に慣れない英語で連絡を入れると、「その話は断ったはず。悪いけど」と言って電話を切られた。

球団フロント間の連絡の行き違いだった。宿無しとなった坪井は、GM兼任監督のようにチームのすべてを仕切っているホブソン監督に訴えたが、「今探しているから」とのつれない返事。

ホームステイ先が決まるまで、仕方なく自費でのホテル暮らしを続けたが、いつまでたっても音沙汰がない。元々、給料自体も、月に15万円もないという厳しい条件だったが、登録を外されると、その間、そのなけなしの給料さえ出ない。

そんな坪井に同情したチームメイトが「俺のところに来い」と救いの手をさしのべてくれ、そのホームステイしている先に頼み込んで転がりこんだ。だが、エージェントを通じて、ホブソン監督から「坪井は何を勝手なことをしているんだ。今すぐ家から出ていけ」と理不尽な連絡が入って追い出された。”

もはや嫌がらせ、悪意すら嗅ぎ取ってしまいました。

残された選択肢

引退を決断した経緯に関して・・

“アマチュア時代から、ずっと野球のエリート街道を歩いてきた坪井が、40歳にして初めて味わう屈辱。

グラウンドの競争社会の中で振り落とされるなら、まだ我慢はできるが、寝る場所も与えられないという人間の尊厳にかかわる部分を傷つけられ、坪井はついに引退という決断を選択せざるをえなくなる。”

と。PL学園から大学、社会人を経て、阪神タイガース入団といった、これだけで選ばれし者の才能を感じるところですが

狂い始めた歯車が、最後は原型すら留めていないかの状況となり、「引退」しかない選択出来ない状況に追い込まれてしまったものと推測したところです。

けじめの場と、引き際の難しさ

正式が記者会見(これを書いている翌日の8/18)が予定されており、この辺りは坪井選手のキャリアに対する敬意といえると思います。

現中日ドラゴンズのジェネラル・マネージャーの落合博満さんが、かつて新入団の選手たちに向けて

「自分で引退出来る選手になれ」といった意の言葉をかけられ、「入団したばかりなのに、もう引退の話しかよ」と

個人で違和感を覚えた発言で、これも落合流かなと思っていましたが、真意は、多くの選手が自分の意に反してユニフォームを脱がされているという現実を差しての事。

坪井選手の場合も完全燃焼し切れなかった部分に、「(ユニフォームを)脱がされた」厳しさを感じます。

新人の時は中日ドラゴンズ川上憲伸、読賣ジャイアンツ高橋由伸、広島東洋カープ小林幹英と繰り広げたハイレベルな新人王争いに始まったプロフェッショナルなキャリアに

過酷な環境に果敢に挑んで行った姿勢、イチローも「天才」と認めた卓越した打撃センスは、今後に期待される部分は大きいですね。

私もこの場で、その才能と生き様に敬意を表したいと思います。

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明日、記者会見との事で、明日からは「坪井さん」。会見の場までは「坪井選手」の呼称にこだわってみました。

 

高橋慶彦さんに再び会ってきた

 

広島東洋カープ等で活躍された元プロ野球選手の高橋慶彦さんのサイン会へ。

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2月に続いて2回目。

前回の模様 >>  高橋慶彦に会えたのが嬉し過ぎた <<

 

慶彦さんが上梓された『赤き哲学』の刊行イベントで

「もう(本)持ってるし、前回、聞きたい事を聞けたし、今回はいいかなぁ」なんて思いつつも

当初はトークショーも予定されていた事(⇒雨天中止)と、特に予定が無かった事、行けば何かあるかも?のワクワク感などから前日になって参加を決めた次第。

 

一流に触れられる得難きチャンス

前回は、縁あって所有する事が出来た慶彦さんの現役選手時代のグローブの真贋を確認する任務を背負ってのドキドキするような使命感がありましたが、今回は至って気楽 ^^

100名弱の参加者で、トークショーが中止となった分、サインの他に各自と写真撮影に応じて頂けるサービスっぷり。

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希望者全員と写真撮影。本以外でもユニフォームに、カードに、皆さんの要望に気さくに応じられるサービス満点ぶりでした

 

 気の利いた質問・・

せっかくの機会だから、何か質問をしようと思考を巡らせるも聞、カープファンであった時期は遥か昔であった事(阪神の事、聞くと空気読んでないかな、とか・・)もあり、

気の利いた質問が、さっぱり浮かんでこない ^^;;

それでも、コーチ時代にロッテの西岡、今江、小坂といった主力選手を鍛え上げられた実績から、「今、プロ野球界で一番鍛えてみたい選手」を問ふ事に。

 

一流にして、気さく

整理券番号66で、開始時刻からおよそ30分程度で自分の順番。初めてではないながら

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本人を目の前にすると野球少年時代の憧れがそこにいるわけで、自然と平常心でなくなり・・

と、そこで怯まず、本にサインを走らせて頂いているタイミングで「慶彦さんが、今、一番鍛えてみたい選手は誰ですか?」と発すれば・・

「うーん、どうだろう。いっぱいいるね。でも、カープで足の速い選手は育ててみたいよね」と一言一句正確でないながら、ばっちりコミュニケーション。

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実はサインも他の人と違って、慶彦さんの顔写真が印刷されたページ(上記)で、「俺の顔の上に書かせるわけね」と軽くジョークを投げかけて頂き気さくな感じは2月の時と変わらず。

実力勝負の世界で頭角を現した事も凄いですが、やはり人気商売の面でもスターの座を獲得した人は違いますね。

私の質問の回答に「カープの選手」と指定がくるあたり、次のご活躍の場は、慶彦さんを知る誰しもが思い描く、

「広島東洋カープ = 赤いユニフォーム」

慶彦さんの哲学が育まれた原点、その姿が現実となる事を俄然応援したくなった、今回のイベントでありました。

 

 

高橋慶彦「赤き哲学」を読んで感じた、覚悟の決めた人の凄み

 

昨日、サイン会に参加出来て、嬉し過ぎちゃった高橋慶彦さんの「赤き哲学」を読了。

 

カープが育てた高橋慶彦

今の慶彦さんがあるのは、ベースになるのは(広島東洋)カープで学んだこと(p209)として

それを指導者の立場でホークス、マリーンズなどで深め、還元させてきたというプロ野球界での足跡。

本の最後では、低迷が続いたカープへの思いが綴られており、現実的には

現役時代に球団行事の「カープ激励の夕べ」をボイコットした経歴から困難が横たわっているようで・・

サイン会の際はファンから「次は是非、赤いユニフォームを」の懇願に

一瞬笑みを浮かべられ、「頑張りま〜す」と明るく返されていましたが、当事者だけが知る根深さもうかがわれる一コマでした。

 

走り続け、また、バットを振り続けた現役時代

その他、本で印象に残った事は圧倒的な練習量で、それはプロに入ってから足を活かすためにスイッチヒッター(当時、日本人選手初となる左右両打ち)を目指すことに起因しての事で

それは・・ 「1日24時間じゃ足りない」と感じるほど(p114)「何千、何万回・・・・・・おそらく百万回単位で素振りをしたでしょう。」

「実際、キャンプなどでとことんバットを振った翌朝は、目覚めると手が拳を作った状態のまま開くことができない。片方の手を使って1本、1本、指を広げていく。そんな日も珍しくありませんでした。」

この経験から・・

不可能、あるいは困難だと言われる物事にチャレンジするためには勇気が必要です。それと同じくらい求められるのが覚悟。挑戦してできないことはない。 ・・中略・・ 勇気と覚悟さえあれば何でも実現することができるのです。(p115)

努力が数字となって表れるまでは・・  外で食事をしていても、彼女の家でくつろいでいても、就寝する2時間ほど前になれば「悪い。素振りするわ」と言い ・・中略・・ 年末年始も大晦日から年明けにかけて ・・中略・・

ある日、どうしても気分が乗らず「今日はいいかな?」と素振りをせずに布団に入った日がありましたが、どうしても落ち着かなくて全く寝られない・・・・・。

私(慶彦さん)にとってバットを振るという行為は食事をとるのと一緒。 ・・中略・・ 「継続は力なり」とはよく言ったものです。 ・・中略・・  量は裏切らない。続けることで染みつくものもあるのです。(p.119)

と、勇気と覚悟を決めて挑んでいた現役時代の裏側に触れる事の出来ました。

 

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高橋慶彦と同じくカープ魂を体現した金本知憲

慶彦さんと同じ境地でプレーをしていたのが、カープからタイガースに移籍した金本知憲さんで、常に全力疾走を怠らなかった姿勢を評価されています。

金本さんも「覚悟のすすめ」という著作(未読)を上梓されていますが、

特定の分野で突き抜けるには、習慣が自動操縦の領域に入ってしまう没頭の世界、

覚悟を決めて挑んだアスリートの心の強さ、存分に見せつけられました。

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高橋慶彦は、失敗しても走り続けた。

 

2週間前に感激のサイン会があった高橋慶彦さんの「赤い哲学」をちょろっと読み始め。

出会いによって人は変われる

慶彦さんは野球人生を数多くの「出会い」によって成り立っていたと振り返られ、

そこから学んだ事は・・「自分自身の考え方を変えれば人は変わる」ということ。(p4)

 

一流への道に繋がる事になった、人生を変えた一言

甲子園にエースで4番の実績を引っさげ、プロ野球の世界に入るも

バッティング練習では、ろくずっぽバットにボールが当たらない状況から・・「1年でクビになるかもしれない」(p12)というところからの振り出し。

絶望感に包まれた状況を見兼ねた、後に監督となる古葉竹識コーチが歩み寄り

“慶彦、お前、なに落ち込んでいるんだ。プロでは足だけでも飯を食っていけるんだぞ”

の一言に ・・

“スペシャリティを磨く。私にとってはそれは足。走塁を生かすためにはどうすればいいか。打球をガンガン飛ばすのではなくゴロを打ったほうがいいだろう。私にとって幸運だったのは、1年目にしてプロでの生き方を決断できた”(p.13)

出会いと一言によって、ファンの記憶に留められる事になるプロ野球選手 高橋慶彦 の生まれる礎となった事が記されています。

 

鉄拳の裏側に、運命の絆

監督に就任した古葉さんは、「お前(慶彦選手)が出るか、俺(古葉監督)がクビになるか」の覚悟で慶彦選手を使い続けたそうな。

私の印象では鉄拳制裁による師弟関係のイメージが強かったですが、そこには熱い絆があった事が読み取れます。

 

失敗を恐るるなかれ

最終的にプロ野球生活18年(平均選手寿命10年以下であるそうな)、1,826安打、477盗塁(プロ野球歴代5位)と輝かしい記録も残した事になるのですが

この裏側にはカープの育成方針、「どんどん走れ」というのがあって、歴代2位となる盗塁失敗数206に裏打ちされての事。

足は速いが、走塁技術に乏しかった慶彦選手に「アウトになってもいいから走れ」、

この教えを最後まで守って走り続けたプロ野球人生であったとの事。

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マイケル・ジョーダンも失敗を乗り越えて、神になった

同様の事は、かのマイケル・ジョーダンもNIKEのCMで「数多の失敗を乗り越えたからこそ、自分は成功した」とキャリアを総括していますね。

 

一所懸命を、人は見ている

まだ、第1章を読み終えたところですが、印象的だったのは、高校3年生となり、プロ入りを全く考えられず

大学進学を決めていた高橋慶彦さんのもとに、広島カープのスカウトから指名したい旨の連絡。

エースで4番として甲子園に出場しながら、プロのスカウトの目に留まったのは、ホームへのスライディングに可能性を感じてとの事。そこから慶彦さんは・・

“自分が意識せずとも、物事に対してひたむきに取り組んでいれば認めてくれる人間はいるもの”(p45)

同様の事は、昨年12月の講演会で野村克也さんも言われていましたが

講演会の模様 >> 野村監督こと野村克也さん講演会へ

 

プロ野球界に名を残す事になる選手も、その裏には、一所懸命、ひたむき、一つ一つに魂込めたからこそですね。