オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:寺島実郎さんに学ぶオーストラリア史 ②

寺島実郎さんに学ぶオーストラリア史 ②

” 先住民の人口は英国の入植開始前には一〇〇万人程度だったとされるが、一九二〇年代には七万人にまで減ってしまった。

土地を追われたこともあるが、英国からの入植者によって、天然痘や梅毒、麻疹、インフルエンザなどの伝染病が持ち込まれたことが大きいとされている。

長年にわたって同化政策もとられたが、現在では先住民の保護政策が進み、四〇万人程度まで回復してきているという。

一八三〇年代以降は、流刑制度に加えて補助移民という形での移民が人口の九八%を占め、英国の植民地としてのオーストラリアができあがった。

一八五一年にはニュー・サウス・ウェールズ州とヴィクトリア州中央部で金が発見されてゴールドラッシュが沸き起こり、世界各地から移民が押し寄せるようになる。

中国からも労働力として人が集まるようになり、これを嫌った白人たちによって、白人を優先する「白豪主義」がとられるようになる。

一九世紀後半にかけて独立の気運が高まり、一九〇一年には六つの州が集まって、オーストラリア連邦が成立するのである。”(出典『ユニオンジャックの矢』p95)”

増減の激しい先住民の人口に、ゴールドラッシュ、白豪主義といったところが今回のポイントですね。

また、次回も続けます。

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上記は、Facebookページ「ーストラリア ライフスタイル & ビジネス研究所の2017年9月21日掲載分の記事です。
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