藤崎沙織さんのアーティストの感性で綴られた日常に惹き込まれた:『ねじねじ録』読了

SEKAI NO OWARI の Saoriさんこと藤崎詩織さんのエッセイ集『ねじねじ録』を読了。

サイン本入荷情報をTwitterで見て、「買えるかな〜」と汗をかきながら電車に飛び乗り、

汗かきかき駆け込み入手叶ったサイン本

駆け込んだ書店で、最後2冊という状態で滑り込み入手していた経緯。

文に始まるセカオワデビュー

セカオワとの略称は頭に定着していたものの、そこまでの距離感であったところ

” 詩を書き、文章を書くことを生業にしている私たち “(p98)

というインパクト強いネーミングのSEKAI NO OWARIの世界観に、まず文章で触れることになった本書。

” 「あれ?どうして隣の家にいるの?」

驚くべきことに友人はこの瞬間までずっと隣の家を私の家だと思い込み、勝手に部屋を開け、そこで眠っている赤ちゃんとその家族を見ても「知り合いの人が泊まっているのかな」と思うだけで、全く気づかなかっただと言う。”(p39)

という衝撃(笑撃?)の日常もあれば

” コンビニに入れば自分たちの曲が流れ、街を歩けば小さな子供に「セカオワの人だ!」と言われる。遠い親戚から連絡がくるようになり、あまり話したことがない中学時代の同級生からさえ「テレビ見たよ」と言われる。”(p106-107)

” 何十人何百人ではなく、何十万人何百万人に届くものを作ることがどれだけ大変なことなのかを、私は音楽業界に入ってからこの10年でよく見てきたと思う。”(p57-58)

という過程をご自身たちも経験され、変貌を遂げていった日常。

シリアルナンバー入りのレア感伴うサイン

或いは

” ツイッターを開いて「セカオワ  女」「セカオワ  ピアノ」と検索し、わざと悪口が出てきそうなワードで探してみたりする。

・・中略・・

常に刺激を求めざるを得ない、ミュージシャンと作家の仕事が私を酒飲みにしたのだ、ということにしておきたい。”(p158-159)

など、随所にアーティストだからこそ(であろう)の感性に繰り広げられる日常、内省が特徴的で、

内容への先入観、ファンだからこその期待値ともなかった分、思いのほか引き込まれ楽しめたエッセイ集で、自然と興味は

SEKAI NO OWARI「RPG」

曲(音楽)の方へも広げられていった読書となりました〜♪


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