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高橋慶彦「赤き哲学」を読んで感じた、覚悟の決めた人の凄み

 

昨日、サイン会に参加出来て、嬉し過ぎちゃった高橋慶彦さんの「赤き哲学」を読了。

 

カープが育てた高橋慶彦

今の慶彦さんがあるのは、ベースになるのは(広島東洋)カープで学んだこと(p209)として

それを指導者の立場でホークス、マリーンズなどで深め、還元させてきたというプロ野球界での足跡。

本の最後では、低迷が続いたカープへの思いが綴られており、現実的には

現役時代に球団行事の「カープ激励の夕べ」をボイコットした経歴から困難が横たわっているようで・・

サイン会の際はファンから「次は是非、赤いユニフォームを」の懇願に

一瞬笑みを浮かべられ、「頑張りま〜す」と明るく返されていましたが、当事者だけが知る根深さもうかがわれる一コマでした。

 

走り続け、また、バットを振り続けた現役時代

その他、本で印象に残った事は圧倒的な練習量で、それはプロに入ってから足を活かすためにスイッチヒッター(当時、日本人選手初となる左右両打ち)を目指すことに起因しての事で

それは・・ 「1日24時間じゃ足りない」と感じるほど(p114)「何千、何万回・・・・・・おそらく百万回単位で素振りをしたでしょう。」

「実際、キャンプなどでとことんバットを振った翌朝は、目覚めると手が拳を作った状態のまま開くことができない。片方の手を使って1本、1本、指を広げていく。そんな日も珍しくありませんでした。」

この経験から・・

不可能、あるいは困難だと言われる物事にチャレンジするためには勇気が必要です。それと同じくらい求められるのが覚悟。挑戦してできないことはない。 ・・中略・・ 勇気と覚悟さえあれば何でも実現することができるのです。(p115)

努力が数字となって表れるまでは・・  外で食事をしていても、彼女の家でくつろいでいても、就寝する2時間ほど前になれば「悪い。素振りするわ」と言い ・・中略・・ 年末年始も大晦日から年明けにかけて ・・中略・・

ある日、どうしても気分が乗らず「今日はいいかな?」と素振りをせずに布団に入った日がありましたが、どうしても落ち着かなくて全く寝られない・・・・・。

私(慶彦さん)にとってバットを振るという行為は食事をとるのと一緒。 ・・中略・・ 「継続は力なり」とはよく言ったものです。 ・・中略・・  量は裏切らない。続けることで染みつくものもあるのです。(p.119)

と、勇気と覚悟を決めて挑んでいた現役時代の裏側に触れる事の出来ました。

 

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高橋慶彦と同じくカープ魂を体現した金本知憲

慶彦さんと同じ境地でプレーをしていたのが、カープからタイガースに移籍した金本知憲さんで、常に全力疾走を怠らなかった姿勢を評価されています。

金本さんも「覚悟のすすめ」という著作(未読)を上梓されていますが、

特定の分野で突き抜けるには、習慣が自動操縦の領域に入ってしまう没頭の世界、

覚悟を決めて挑んだアスリートの心の強さ、存分に見せつけられました。

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高橋慶彦は、失敗しても走り続けた。

 

2週間前に感激のサイン会があった高橋慶彦さんの「赤い哲学」をちょろっと読み始め。

出会いによって人は変われる

慶彦さんは野球人生を数多くの「出会い」によって成り立っていたと振り返られ、

そこから学んだ事は・・「自分自身の考え方を変えれば人は変わる」ということ。(p4)

 

一流への道に繋がる事になった、人生を変えた一言

甲子園にエースで4番の実績を引っさげ、プロ野球の世界に入るも

バッティング練習では、ろくずっぽバットにボールが当たらない状況から・・「1年でクビになるかもしれない」(p12)というところからの振り出し。

絶望感に包まれた状況を見兼ねた、後に監督となる古葉竹識コーチが歩み寄り

“慶彦、お前、なに落ち込んでいるんだ。プロでは足だけでも飯を食っていけるんだぞ”

の一言に ・・

“スペシャリティを磨く。私にとってはそれは足。走塁を生かすためにはどうすればいいか。打球をガンガン飛ばすのではなくゴロを打ったほうがいいだろう。私にとって幸運だったのは、1年目にしてプロでの生き方を決断できた”(p.13)

出会いと一言によって、ファンの記憶に留められる事になるプロ野球選手 高橋慶彦 の生まれる礎となった事が記されています。

 

鉄拳の裏側に、運命の絆

監督に就任した古葉さんは、「お前(慶彦選手)が出るか、俺(古葉監督)がクビになるか」の覚悟で慶彦選手を使い続けたそうな。

私の印象では鉄拳制裁による師弟関係のイメージが強かったですが、そこには熱い絆があった事が読み取れます。

 

失敗を恐るるなかれ

最終的にプロ野球生活18年(平均選手寿命10年以下であるそうな)、1,826安打、477盗塁(プロ野球歴代5位)と輝かしい記録も残した事になるのですが

この裏側にはカープの育成方針、「どんどん走れ」というのがあって、歴代2位となる盗塁失敗数206に裏打ちされての事。

足は速いが、走塁技術に乏しかった慶彦選手に「アウトになってもいいから走れ」、

この教えを最後まで守って走り続けたプロ野球人生であったとの事。

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マイケル・ジョーダンも失敗を乗り越えて、神になった

同様の事は、かのマイケル・ジョーダンもNIKEのCMで「数多の失敗を乗り越えたからこそ、自分は成功した」とキャリアを総括していますね。

 

一所懸命を、人は見ている

まだ、第1章を読み終えたところですが、印象的だったのは、高校3年生となり、プロ入りを全く考えられず

大学進学を決めていた高橋慶彦さんのもとに、広島カープのスカウトから指名したい旨の連絡。

エースで4番として甲子園に出場しながら、プロのスカウトの目に留まったのは、ホームへのスライディングに可能性を感じてとの事。そこから慶彦さんは・・

“自分が意識せずとも、物事に対してひたむきに取り組んでいれば認めてくれる人間はいるもの”(p45)

同様の事は、昨年12月の講演会で野村克也さんも言われていましたが

講演会の模様 >> 野村監督こと野村克也さん講演会へ

 

プロ野球界に名を残す事になる選手も、その裏には、一所懸命、ひたむき、一つ一つに魂込めたからこそですね。

高橋慶彦に会えたのが嬉し過ぎた

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千載一遇の機会到来

数年前に縁あって、小学生時分の憧れのプロ野球選手、広島カープ在籍時の高橋慶彦実使用と聞かされ、入手したグローブ。

入手時は入手元に、入手経緯であったり、他の所有物を見せられたり、自分で調べたりして、「多分、大丈夫」なんて漠然とした確信を持っていました。

そこから数年の時が流れ、1週間程前にFacebookの自分のニュースフィードに流れてきた情報で・・

高橋慶彦が書籍刊行記念のサイン会を東京で開く旨の情報を入手。

「これはグローブの身元を確認するを千載一遇のチャンス到来!」とばかり、

整理券の確保も叶ったので、日曜日、喜び勇んで会場となる八重洲ブックセンターへ行ってきました。

 

まずは、会の進行模様を把握

書店で開かれるサイン会は何度なく参加していましたが、今回は200名という、恐らく今までで最大規模。

「こういうのは最後(=200番目)が狙い目なんだよなぁ」とレジで書籍の購入と整理券を入手したものの

暫く列に並ばず、会の進行を見守っていたところ写真は撮れないものの、会話は気軽に応じてくれる様子。

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後方の人に「ちょっと邪魔だ」と肩を叩かれた事もあり、踏ん切りつけて・・ 最後尾を目指すと、さすがに200人規模の長蛇の列。

 

決定的瞬間を待つ贅沢な時の流れ

Facebookで普段やらない実況中継をするなど、ドキドキしながら順番を待ち、時間の経過は恐らく20分程度。

再び、本人を視界に捉え、「いよいよだな」とグローブを小脇に抱えるなどスタンバイ。

・・すると、前の前の人が本人との写真撮影を行っており、「何だ、大丈夫じゃん」と、

即座、見ず知らずの後ろの女性に「ちょっと撮って貰ってもいいですか?」と今にして思えば、かなり強引だったか(苦笑)

 

いよいよ順番だ!

前の方が去られ、スタッフの方に「(為書きは)名前と苗字どちらかにして下さい」と聞かれた後、

本人に本が手渡り、サインが入る。終わって即「(写真)1枚いいですか?」と尋ねれば、すぐに応諾。

段取り通り、後ろに女性に取り直しを含め計2枚。パシャリ(!)

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この辺りから記憶が飛び始めましたが、我を失わず・・

私「これ、慶彦さんのグローブです」

慶彦さん「おぉ、HATAKEYAMA」といい感じのご反応。

私「ホンモノですか?」と尋ねれば・・

慶彦さん「ホンモノです、ホンモノです」と2回に渡るお墨付き!

ふぅ〜 入手した当初は想像もしてなかったけど「こんな機会って巡ってくるんだなぁ」と

 

さて本を回収してとか、立ち去る準備に入ると

慶彦さん「僕が欲しいくらいですもん。今、僕も無いですもん」

と、ちょっとグローブに愛着を増すコメントも頂き、ほのかに上気した感じで自分のサイン会は終了。

おっと、ここで立ち去っては失礼と・・ 撮影頂いた女性の方の写真2枚のカメラマンをこなし、余韻に浸りながら会の終了を見届けて退店。

 

いつか叶った夢

幼少の頃、夢は何でも叶えられると信じられた頃も、俊足であったり、闘争心が前面に出たプレースタイルであったり

高橋慶彦みたいな野球選手にはなれないと分かっていたものの

憧れの眼差しで、テレビの向こう側や野球場の客席遠くから視線を送っていたり、自室にポスターを掲げていた選手に

直に接する機会を得られて、心はすっかり野球少年の頃に引き戻されていました。

最寄り駅の東京駅に至る道中、「そういえば(他の人たちがしていた)握手してなかったな」と・・