高橋慶彦は、失敗しても走り続けた。

 

2週間前に感激のサイン会があった高橋慶彦さんの「赤い哲学」をちょろっと読み始め。

出会いによって人は変われる

慶彦さんは野球人生を数多くの「出会い」によって成り立っていたと振り返られ、

そこから学んだ事は・・「自分自身の考え方を変えれば人は変わる」ということ。(p4)

 

一流への道に繋がる事になった、人生を変えた一言

甲子園にエースで4番の実績を引っさげ、プロ野球の世界に入るも

バッティング練習では、ろくずっぽバットにボールが当たらない状況から・・「1年でクビになるかもしれない」(p12)というところからの振り出し。

絶望感に包まれた状況を見兼ねた、後に監督となる古葉竹識コーチが歩み寄り

“慶彦、お前、なに落ち込んでいるんだ。プロでは足だけでも飯を食っていけるんだぞ”

の一言に ・・

“スペシャリティを磨く。私にとってはそれは足。走塁を生かすためにはどうすればいいか。打球をガンガン飛ばすのではなくゴロを打ったほうがいいだろう。私にとって幸運だったのは、1年目にしてプロでの生き方を決断できた”(p.13)

出会いと一言によって、ファンの記憶に留められる事になるプロ野球選手 高橋慶彦 の生まれる礎となった事が記されています。

 

鉄拳の裏側に、運命の絆

監督に就任した古葉さんは、「お前(慶彦選手)が出るか、俺(古葉監督)がクビになるか」の覚悟で慶彦選手を使い続けたそうな。

私の印象では鉄拳制裁による師弟関係のイメージが強かったですが、そこには熱い絆があった事が読み取れます。

 

失敗を恐るるなかれ

最終的にプロ野球生活18年(平均選手寿命10年以下であるそうな)、1,826安打、477盗塁(プロ野球歴代5位)と輝かしい記録も残した事になるのですが

この裏側にはカープの育成方針、「どんどん走れ」というのがあって、歴代2位となる盗塁失敗数206に裏打ちされての事。

足は速いが、走塁技術に乏しかった慶彦選手に「アウトになってもいいから走れ」、

この教えを最後まで守って走り続けたプロ野球人生であったとの事。

running

 

マイケル・ジョーダンも失敗を乗り越えて、神になった

同様の事は、かのマイケル・ジョーダンもNIKEのCMで「数多の失敗を乗り越えたからこそ、自分は成功した」とキャリアを総括していますね。

 

一所懸命を、人は見ている

まだ、第1章を読み終えたところですが、印象的だったのは、高校3年生となり、プロ入りを全く考えられず

大学進学を決めていた高橋慶彦さんのもとに、広島カープのスカウトから指名したい旨の連絡。

エースで4番として甲子園に出場しながら、プロのスカウトの目に留まったのは、ホームへのスライディングに可能性を感じてとの事。そこから慶彦さんは・・

“自分が意識せずとも、物事に対してひたむきに取り組んでいれば認めてくれる人間はいるもの”(p45)

同様の事は、昨年12月の講演会で野村克也さんも言われていましたが

講演会の模様 >> 野村監督こと野村克也さん講演会へ

 

プロ野球界に名を残す事になる選手も、その裏には、一所懸命、ひたむき、一つ一つに魂込めたからこそですね。


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