入来祐作さんに学ぶ転機を捉え必死になる力:『用具係 入来祐作』読了②

 

以前エントリーした元読賣ジャイアンツ、現在、DeNA横浜ベイスターズ用具係の入来祐作さん著『用具係 入来祐作 〜僕には野球しかない〜 』読了記で書き切れなかったところ。

>>入来祐作さんに学ぶ「変わる力」:『用具係 入来祐作』読了 <<

中学生対社会人で見せつけた片鱗

中学3年生の時に、兄(智)が所属する社会人野球チームの練習場を訪れた際、お兄さんから「スゴい野球が上手いんですよ」と紹介され、その流れからキャッチボールを披露する事に・・

それが「なんやこいつ、まだ中学生なのに凄いやないか・・・」となり、

数日後、マウンドに立つ展開を招き、その様子がPL学園のスカウトの目に留まり、同校のセレクションを受ける事となる。

受験者数400名超、各地のシニアリーグ、ボーイズリーグで錚々たる実績を積んだ面々が集まるなか、そこでも周囲の注目を集めるう事になり、合格。

計26校の誘いがある中、元中日ドラゴンズの立浪和義さんなど有名選手が在籍する環境に憧れ、PL学園の門を叩く事に。

鍛えられ、人生の礎となったPL学園野球部

世に断片的に漏れ伝わってくるように、PL学園の野球部の過酷さは

” あまりに理不尽な境遇で精神的に追い詰められたり、逃げ出したくなったりしたことが何度もありました。” (37%/百分率は紙の本でいうところのページ数に相当)

というところ。それは・・

” 全国から野球に人生を懸けた人たちが集まってきている集団なので、誰一人手を抜かず、どこまでも本気です。” (37%)

そういった環境ながら、入来さんは1年生の時からベンチ入りの18人の中に選ばれ

” そのことを快く思わない同期から僻み半分で難癖をつけられ、ケンカになることも珍しくありませんでした。 ・・中略・・

周囲からの嫉妬や羨望、さらにはプレッシャー。私は「この人たちの前で無様な姿は見せられない」という「エースの孤独」を、初めて感じる事になりました。” (37%)

と若干16歳で様々な葛藤に直面する事に。表に見える事の裏側で、やはり1年生が置かれる状況は更に精神を鍛えられるようで・・

” 下級生としてやるべき「仕事」が、あまりにも多いことです。PL学園では伝統的に「付き人制度」が敷かれていました。

マンツーマンで先輩のユニフォームの洗濯やスパイク磨きを夜のうちに行い、次の日までに先輩の枕元に置かなければいけません。 ・・中略・・

また、寮では朝6時に起床コールがかかり、その5分後にグラウンド集合となります。

ただし1年生は、この起床コールの前に起きて洗濯物をたたみ、先輩の朝食を準備しなければいけません。寮の食事だけでは足りないので、朝も夜も先輩のために1〜2品を作らなければならないのです。 ・・中略・・

さて、起床コールの前に起きる1年生は、必然的に自分の目覚まし時計で起きるわけですが、部屋は6人部屋なので先輩方もいます。

目覚ましのうるさい音で先輩たちを起こしてしまおうものなら、それがすでに「事件」となります。 ・・中略・・

ちょっとした言葉遣いのミスでも怒られて「事件」となり、これが重なると集合がかかり1年生の連帯責任に。

全員正座から、V字腹筋や空気いすのような厳しいトレーニングが課せられます。この一連の流れが、1年生を悩ませていたのです。”

本当に面白い?ところは「・・中略・・」として端折ったところであったかもしれませんが、字面を読んでいるだけでも厳しい環境下、

入来1年生の体重は3ヵ月の間に13kgも減り、あまりの痩せようから「ボクサー」とのあだ名が付けられるほどに。

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入来さん在校時のPL学園は甲子園出場に恵まれなかったものの、ハイレベルな環境で防御率1点台、打率6割台の記録を残して、亜細亜大学〜本田技研とキャリアを進める。

社会人では最高殊勲選手賞の「橋戸賞」を受賞するなどの実績を携え、読賣ジャイアンツを逆指名の権利を行使して、プロの世界へ。

読賣ジャイアンツに入団するという事

入団1年目は・・

” 巨人に入団してからは、とにかく毎日が刺激的でした。周囲の先輩たちの個性的な言動からも目が離せません。 ・・中略・・

そしてそれ以上に、チームメイトたちの野球選手としてのレベルの高さにとまどう日々でもありました。” (52%)

入団2年目で、先発ピッチャーとしてのプロ初勝利(前年に中継ぎでプロ初勝利)を上げ、シーズン通算7勝を上げるも、その年のオフに逆指名で現ボストン・レッドソックスの上原浩治が入団。

ここに人気球団「巨人」の宿命があり、7年に渡る在籍期間でいくら活躍しても、

” これで来年の自分の居場所も安泰  ・・中略・・ ドラフト逆指名制度がある限り、巨人には毎年のように「その年のNo.1」が入ってくるようなものでした。

当然ながら「本当にこの球団では、気を抜く暇がまったくないんだな・・・」と改めて感じていました ” (57%)

” 巨人の選手はごく一部の天才を除いて「尻に火がついている環境」から逃げられません。

自分のような普通の選手は、それでも地道に一歩一歩階段を上って、自分の居場所を求め続けるしかない ー ” (68%)

アマチュアで輝くキャリアを築きながらも、巨人では一切が剥奪されてしまうという厳しさ。

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恩師との再会、駆け上がる階段

そのような中、入来さんが手応え感じ始めた時期があり、それは2000年オフでの出来事。

” 1年の大半を二軍で過ごしながら、この年の私はプロ入り当時からの課題だと思っていた「投球術」に目覚め始めていました。” (59%)

それは亜細亜大学時代の監督、内田俊雄さんとの再会の際の会話からきっかけを掴む事になるもので

” 「ボール1個分を投げ分ける制球力なんて、そう簡単に付くものじゃない。『ここに投げろ』と言われて本当に投げられる奴なんか、プロでもほとんどいないんだ。

狙ったところから上下左右にキャッチャーミット1個分ズレるくらい、問題ないんだよ

打者のイメージするタイミングでスイングさせないことだ。打者に自分のタイミングで打たせなければ勝ちなんだよ。

そのためには何をすればいいか。とにかく打者の反応を見るんだ。初めはわからなくてもいい。他の投手が投げているときも、とにかく打者の反応を見続けなさい」” (59%)

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このアドヴァイスが入来さんのプロフェッショナルとしての質を高める契機となり

 ” それまでは自分の投げる球の速度や制球、質を磨くことばかりを重視していた私が、単なる配給論のもう一歩先、打者を見る洞察力を磨こうと考え始めたのです。” (60%)

それでも、翌シーズンの開幕ローテーション入りならずも、桑田真澄投手の負傷離脱により巡って来たチャンスから722日ぶりの勝ち星を記録。

嬉しさより安堵の気持ちが大きかったそうですが、上述のチーム事情ゆえ、気を緩めると二軍に戻ることの危機感から必死の投球を続け、自己登板日で3連勝を記録。

次の登板でも大量リードを貰いながらも、突然KOの憂き目に・・。それでも、下記の思わぬ事態に直面する事に・・

” 「入来!もったいないぞ。油断だよ、油断!」その試合では、降板直後にベンチ裏で、長嶋監督に怒られてしまいました。

しかし、大きな声では言えませんが、このとき私はちょっと嬉しく感じていたのです。

じつはよく人の名前を間違える長嶋監督に、若手時代の私はしょっちゅう「岡田!」と呼ばれていました。

私に向かって直接「入来!」と呼んでくれたのは、このときがおそらく初めてでした。

しかも、ここ2年ほどは監督から直接怒られることがない位置にいたこともあり、「やっと一軍に戻ってきた・・・」という気持ちになったのだと思います。” (63%)

居場所を求めた必死さ、思わぬ油断が導いた監督との絆(笑)必死さがキーワードであったと思いますが、投球術に目覚めてからの入来投手は

” この年は「結果オーライ」や「キャッチャーに言われるがまま」に投げた球は、1球たりともありませんでした。すべてのアウトを意図して取り、

また打たれた時もその理由を分析できるようになっていました。当時は本当に、寝ても覚めても野球のことばかり考えていました。

「なぜ打たれたのか」だけでなく「なぜ抑えられたのか」「なぜ空振りが取れたのか」「なぜ詰まったのか「なぜ見送ったのか」まで、試合が終わったら納得いくまで考え続ける。

そんな毎日を送っていると、ますますピッチングが楽しくて仕方がなくなってくるのです。” (64%)

この事は・・

” 自分のピッチングのステージが上がったことで、嬉しいことがほかにもありました。

この年はずっと一軍にいたので、桑田(真澄)さんや工藤(公康)さんと話しをする機会が、これまで以上に多くなっていました。 ・・中略・・

私は、工藤さんや桑田さんと投球論を語れるところまで来たことが、嬉しくて仕方がありませんでした。” (65%)

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転機を掴んで、必死になれる力

この後、本では日本ハム移籍、メジャー挑戦などと続いていきますが、自分が本書で印象に残ったのは

投球術に目覚め、必死で己の居場所を築き、交流する人たちのステージが上がったプロセス。

残念ながら、入来投手が工藤投手、桑田投手等と投球術を交わせるようになっても、

その後のプロとしてのキャリアでは思ったような記録を残せず引退の日を迎えてしまった事に、プロの世界の厳しさが伝わってきますが、

自分を含め多くの人にとって、転機/契機を迎え、その機会を活かして、自分自身を成長させていく事は、誰しもに起こせる軌跡ではなかろうかと。

入来さんのキャリアの中から、1つ示唆を得られた心境になりました。

 

 


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