景山民夫さんと高田文夫さんが10分番組で斬りまくったあのころ:『民生くんと文夫くん あのころ君はバカだった』読了

1984年に出版された『民夫くんと文夫くんのオレたち天才! めちゃぶつけ』が改題され、文庫化された

中古ながら比較的良い状態のものを入手出来ました。

放送作家 故景山民夫さんと高田文夫さんの『民夫くんと文夫くん あのころ君はバカだった』を読了。

先月(2019年5月)に読了していた

<< 2019年5月14日投稿:画像は記事にリンク >> 高田文夫さんが振り返った笑いの歴史を築いていった人たちとの忘れ得ぬ瞬間:『誰も書けなかった「笑芸論」森繁久彌からビートたけしまで』読了

『誰も書けなかった「笑芸論」森繁久彌からビートたけしまで』の中に

” 語感が似ているので「民生くんと文夫くん  あのころ君はバカだった」という本を出したり・・・ この角川文庫版に談志師匠が書いて下さり、大爆笑の仕上がりになっている。

当人の談志も「オレの最高の文章は民生の解説」と言っている。”(p92)

とあり、古本を検索して入手していたもの。

時代の感性を捉えていた二人による・・

のっけから景山民夫さんによる「まえがき」

” 高田文夫と僕とは、同じ放送作家をしていながら、13年間まるで出会ったことがなかった。

名前だけは知っていたが、あっちは塚田茂大先生門下の「スタッフ東京」の一員。

こちらは生まれついての一匹カワウソ。どうせ会ったって話は合うまい、チンケな馬鹿だろうくらいに思っていたのだ。”(p3)

とガツンとやられます(笑)

本書はニッポン放送でオンエアされていた番組「民夫くんと文夫くん」の書き起こしで

 1. 女の章

 2. TVの章

 3. ガキの章

 4. バカの章

と章立てされ、

“(ふ)ー あとおもしろくないのはさ、週刊誌が大学の合格者の名前のせんの、東大とかさー。

(た)ー アタマくるぜあれは〜。

(ふ)ー あれ売れんだぜ。「サンデー毎日」とかさ。

(た)ー オレだってこの商売はじめて週刊誌に名前が載るまで15年かかってんだよ。それをなんで大学受かったくらいでしょー。

(ふ)ー 18歳でその栄光をつかめるんだぜ。週刊誌に名前が載るということ。犯人でもないのにさ。冗談じゃないよ本当に。”(p133)

といった具合。

女子大生に、放送作家ブーム、海に行った自慢等々、語られているトピックに多分に時代性を感じる内容。

景山民夫さんがリードして、高田文夫さんが受け止めるという基本形で、

このあたり「オールナイトニッポン」でのビートたけしさんと高田文夫さんの役回りを彷彿とさせられました。

80年代の頃のあの雰囲気に、「あったな〜」とか「そういえば・・」と記憶を引っ張り出されたり、

何より、不慮の事故で命を落としてしまった景山民夫さんの当時、帯びていた時代性に

ご存命であったのなら情報番組のコメンテーター等で活躍されていた可能性が高いように思うのですが、

どのように今を斬られたのかとか、そのような思いにも駆られました。

景山民夫 x 高田文夫 by 家元

で、目当ての家元こと立川談志師匠の解説。

伝説の「解説」。

「こう来ましたかぁ〜」と(笑)褒めてんだか、けなしてんだかといった書きっぷりで

家元流の愛情表現=評価となっていますが、いろいろこの時代に思いを持つ者の一人としては

ある種、奇跡の一冊と思える構成で、30余年経過している分、笑撃は一段弱まっているものの

凄い本には変わりないですね〜


Comments

comments