大村崑さんが語りつくした仰天「昭和芸能史」の舞台裏 < 高倉健さんとの交流秘話 >:『崑ちゃん ボクの昭和青春譜』読了

先日、アップロードした大村崑さんの自伝とも言うべき『崑ちゃん  ボクの昭和青春譜』読了記 ↓ で

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書き切れなかったところを今回。

高倉健さんとの交流秘話

2014年11月に惜しまれながら他界された故高倉健さんとの交流に関する内容で・・

” 北野劇場では、1年に1、2回「江利チエミ・ショウ」をやってました。

・・中略・・

ある日、彼女の楽屋を覗いたら、部屋の卓袱台の前に痩せたハンサムな男が胡座かいて座っていました。

僕が行くと、サッと座り直してね。するとチエミちゃんが、

「崑ちゃん、こちら私のお友達。東映の高倉健さん」

「あ、どうも」

実は僕は知らなかったんです、彼のこと、僕らは舞台とテレビを行ったり来たりするばかりで映画なんてほとんど観てないからね。

このひと彼氏かな?とは思いました。だから、ちょっとムッとした。だって、そうでしょう。

歌手に頼まれていろいろ買い物をしてあげたり、歯医者連れてったり、と世話を焼くのは、好かれたいからなんですよ。

それが知らない間に、いい男が来るなんて。面白いわけがない。でも、一応話しかけました。

「いくつ?」「昭和6年生まれです」「ああ、同期だ。よろしくね」

僕が冗談を言うと、彼も冗談を返してくる。面白い男だな、と思いましたよ。

健さんというと「静かな男」というイメージがあるけど、あれは後で作られたイメージですね。”(p83-84)

ハリウッド映画の役を競う展開に・・

この時の出逢いのエピソードから、後に驚きのエピソードが披露されていて・・

” 健さんといえば、僕がやるはずだった役を彼に奪われたことがあるんですよ。

それは、やはりハリウッド映画で、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』。あの松田優作さんの遺作となった作品ですね。

この映画で息子は、日本側のマスコミの代表を務めたんですよ。

で、息子のすすめで日本人の刑事役のオーディエンスを受けたんです。あのマイケル・ダグラスの相手役ですよ。

「お父さん、大阪弁を話す役だから受けた方がいいよ」息子がそう言うもんだから受けることにしたんです。

東京の帝国ホテルの一室、監督はじめプロデューサーやらがずらりと並び、その前で日本語の台詞を読まされました。

「お前ら原爆落としよって、何日か経ってから黒い雨が降って、それでえらい目に遭うたんや!」というような怒った大阪弁の台詞を喋りながら、

マイケルの代わりの役者を相手に芝居するんです。終わったら、「素晴らしい!いい結果をお待ちください」なんて言われちゃって、すっかりその気になったんです。

てっきり、この役は僕のもんだと思いましたよ。

オーディションの結果発表の日の朝。すでに結果を知っている息子は、出かける前に僕に言ったんです。

「お父さん、オーディション決まったよ」

「え? 誰」

「お父さんやない」

「誰なの」

「高倉健」

「うそーーー!」

高倉健といったら、日本の「静」の代表の俳優でしょ。台本読んだら、この刑事はコテコテの大阪のおっさんで、マイケルと喧嘩しながら捜査を進める役なんです。

だから、適役は自分しかいないと思い込んでいたのに。高倉健になるなら最初からオーディションいらないだろうって。”(p139-141)

それぞれ本ではエピソードに続きが出ていますが、記載の内容だけでも、本書ならではの貴重な秘話公開であったと思います。

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大村崑さんを通じて振り返る「昭和」

本の最後部では、どう見ても80歳代には見えない大村崑さんが実践している健康法(「崑ちゃん元気の秘訣」 p206〜211)、(健康への)こだわりなども綴られており、

内容盛りだくさんで、私のように大村崑さんについて殆んど知らないという方でも、楽しめる内容に仕上がっていると思います。

 


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