Eddie Van Halenが旅立ってしまった日

朝、起きて携帯を確認すれば管理しているFacebookグループ

Facebookグループ Runnin’ wtth VAN HALEN(画像はFacebookグループにリンク)

Runnin’ with VAN HALENに投稿があったことを知らせる通知。

目をやれば、

ことの性質上、安直な拡散は出来ず、真偽を確認する必要性から、ニュースフィードをスクロールすれば

出典:Wolf Van Halen Facebookページ(画像は投稿にリンク)

訃報が続々とシェアされており、「これ、本当なのか、、」と。

口には出していません(≒文字にしていません)でしたが、アメリカでの新型コロナウイルス感染状況が酷く、

健康でいることが難しいと感じられた状況で、もとより闘病が伝えられていたEddie Van Halen「大丈夫かな・・」と時折、流れてくる噂レベル?の記事に一喜一憂していて

悪い知らせがあり得ることは頭で理解していたつもりも、このタイミングでの心の準備(死因は咽頭癌)はなく、無防備にズドンとどてっ腹に穴を開けられたような。

Van Halen – Crossing Over 訃報を知らされた日 、脳裏に流れし一曲

Eruption-ed 2020.10. 7

当初は、(10月7日に)書くことは決まっていたし、気持ちの整理がつくであろう数日後に、書こうかなとの思いが過ったものの

盟友 David Lee Roth らしい惜別のコメント(出典:David Lee Roth Facebookページ)

その日に感じたことを記録しておくことに意義があろうと。

断片的となりますが、VAN HALENを初めて知った(=聞いた)のは、ラジオ番組の「三宅裕司のヤングパラダイス」で

曲名のJumpだけ頭に入ったので、同級生に「Jumpって曲、歌ってるグループ何?」と聞いて、その時もバンド名を頭に入りませんでしたが(苦笑)

1984というアルバムに収録されていることに、アルバムの既に6枚出されていることを知り、1984、1st、2ndといったところを洋楽で先行していた同級生から借りカセットテープにダビング。

最初の頃は、1984〜Jumpまで聴いては巻き戻すということを繰り返していましたが、やがて、Panama・・ Hot For Teacherとレンジが伸びていくに従って、どっぷりその音楽生に、世界観に浸っていくことに ^〜^♪

・・といった次元で書き綴っていくと、エンドレスの様相を呈してくるので、以下、掻い摘みます m(___)m

そんな出逢いから、リアルタイムでVAN HALENをフォローするようになったのは 5150 から。

その時は、西新宿の今は無き Disc RoadでLPを買う前に、とんねるずのオールナイトニッポンでかけらrた Why Can’t This Be Loveのドクトクとしたイントロに新たな方向性を感じ取りワクワクさせられ、待ちきれず入荷早々に買ったLPでのSammy Hagarの”Hello, Baby“が”Hello Dave“に空耳してドキッとしたり、何より完成度の高さに圧倒されました。

次のOU812は、渋谷のタワーレコードに「VAN HALENの新譜入ってますか?」と確認の電話を入れてからWALKMAN片手に買い出しに行き、夜、帰りの電車で買ったばかりのカセットテープで「VAN HALENこんな風になっちゃったのか」と少なからず、とっつき辛さを感じたものの

この時のツアーで初めてVAN HALENを東京ドームで目の当たりに出来た事は大きな喜びで、生で見られた感激はよく覚えています v^o^h

最初のピークは、BALANCEの来日公演前に、TOWER RECORDS 渋谷店で開催されたVAN HALEN史上初のインストア・イベントで、メンバー一人ひとりからサインを貰え、握手出来たこと。

サイン会は当初予定になく当日メンバーの提案を受けてのもので、もしもの展開に備えて用意していたRolling Stone誌が活きました。

手を洗うのもはばかられる気持ちはよく理解出来たつもりも、やはり緊張もあったか、すぐにトイレで手を洗ってしまったようなに記憶 ーvー;

インターネットで広がったVHファンの輪

そしてインターネットが台頭してきて、2000年前後からファンサイトに出入りするようになり、

日ごろ殆どVAN HALENについて語ることが出来なかった状況が、オンラインに、オフ会で自分の思いを汲んでくれる人たちに、自分の遥か先をいく人たちに・・ ^〜^;A

特にイベントやトリビュートバンドのライヴで遠路移動を厭わない人たちに、最初は乗り遅れるも、

程なく、やっぱり本場でしょう!と、

単身、2001年夏にLos AngelesでDavid Lee Rothのファンミーティングに参加して、そこから現地の人たちとの今も続く交流が芽生えたり。

VAN HALENで繋がりでCaliforniaでも新たな輪を拡大させていくことが出来ました ^^

必然?!2004年(Los Angeles)、2007年(Toronto)、2012年(Los Angeles)と三度VAN HALENのライヴを観るために渡航。

日本人同士、Los Angelesで顔を合わすパターンに、極め付けは2012年 地元Los AngelsのStaples Centerでの公演を最前列中央で観られたことは生涯忘れえぬ栄誉で、

The Staples Centerで夢を叶えている瞬間.-

何とその時も日本から来ていることを知らなかった友人と横並びで観られたという奇跡的な展開から

Eddie Van Halen on Solo

好きなことに傾倒、注力していくことの大切さを学ばされたように。

人生を決定づけた大恩人

音楽的な偉業は専門性を有した人だからこそ書ける領域であろうと、聞き専門の自分は触れられませんが、

自分自身の喜怒哀楽に寄り添ってくれる曲はどのバンドより多かったし、何よりCaliforniaの友人もFacebookに書いていて唸らされましたが、

友人のFacebook投稿

VAN HALENを通じて、日本全国的(北は東北、南は四国、九州)に数多くの人たちと知り合え、20年来の付き合いとなっている人たちもいれば、海外も然りといった具合で出逢いに恵まれた事。

望みはしませんが、仮にドラえもんのもしもボックスで「VAN HALENがいない世界」に足を踏み入れていたら・・ 今の自分がいる現実とは大きく異なった日常が創り出されていたであろうことは確実であるという。

今回の記事を書いていることは至極残念で、夕方、J-WAVEでDreamsがOn Airされた時はグッとこみ上げてくるものありましたが、

DREAMSの選曲にグッときました 出典:J-WAVE(画像はサイトにリンク)

悲しいだけの一日でなかったことは記憶にとどめていたく、数々の良き思い出を演出してくれた私にとっての感謝の存在、Eddie Van Halenでした。


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