先週、読了記👇をアップロードした

哲学者國分功一郎さんと互盛央さんの共著『いつもそばには本があった。』刊行記念トーク&サイン会に参加。

もともと本書を購入したのは、本イベントへの参加目的がありましたが、
(本書を)読み終えた段階になると「読むより聞いた方が分かり良いかなぁ」といった期待感も。
お二人は、國分功一郎さんの無名時代からお付き合いで、年長の互盛央さんは「國分くん」と声がけする間柄のようで、
先週、読了記👇をアップロードした
哲学者國分功一郎さんと互盛央さんの共著『いつもそばには本があった。』刊行記念トーク&サイン会に参加。
もともと本書を購入したのは、本イベントへの参加目的がありましたが、
(本書を)読み終えた段階になると「読むより聞いた方が分かり良いかなぁ」といった期待感も。
お二人は、國分功一郎さんの無名時代からお付き合いで、年長の互盛央さんは「國分くん」と声がけする間柄のようで、
哲学者 國分功一郎さんと、言語論、思想史などについて本を出されている互盛央さんのお二人が
” 「本」に関する本を二人で書く “(p7)
というアイディアのもと、上梓された『いつもそばには本が合った。』を読了。
開いてみた本の構成は・・ 國分功一郎さんと互盛央さんが「本」について7ページ程度の文をリレー形式で展開。
実際、読み始めてみると
哲学者 國分功一郎さんと社会学者 古市憲寿さんの対談『社会の抜け道』を読了。
先週参加した社会学者 大澤真幸さんと國分功一郎さんのご登壇イベント
に合わせ(サイン用に)入手していた一冊。
「(國分功一郎さんの著書の中で)どれにしようかな」と検索した後、著書名に興味を持った次第。
なお、その著書名は、國分功一郎さんが担当された「あとがき」から引用すると
” 社会を矛盾によって定義することはできない。社会というのは常に水漏れを起こしている。社会の中にまずあるのは水漏れである・・・。”(p251)
帯には
” あらゆる社会問題は「解決」しない。けれど、必ず「抜け道」歯ある “
とあり、本書は
「『〈自由〉の条件』刊行記念 大澤真幸さん×國分功一郎さん トークイベント」に参加。
哲学者 國分功一郎さんが登壇されることで興味を持ったイベントですが、
「大澤真幸さんのお名前も見覚えあるなぁ」なんて調べたら
で、解説を書かれており、一連の流れに乗って「面白そうだなぁ」と。
ただ、開催直前「これかぁ」と対象書籍の『<自由>の条件』を書店でさ〜っとめくってみれば
続きを読む 社会学者 大澤真幸さんと 哲学者 國分功一郎さんが交わした自由を巡る議論:『〈自由〉の条件』刊行記念 大澤真幸さん× 國分功一郎さんトークイベント 参加記
哲学者 國分功一郎さんの『中動態の世界 意思と責任の考古学』を読了。
先月(2018年9月)、銀座蔦屋で開催された絵本作家 五味太郎さんと(國分功一郎さん)のイベントの対象書籍として買い求めていた一冊。
馴染みのないタイトルに、その厚み(335ページ/注釈を含む)に、
買ってはみたが、いざ読み始めようかという段階に突入すると、尻込みするようなところもあり、
実際、一読しただけでは大学の教養課程で哲学を履修した程度のレベルとしては「難しかったなぁ」と。
” 中動態の存在を知ったのは、たしか大学生の頃であったと思う。本文にも少し書いたけれども、能動態と受動態しか知らなかった私にとって、中動態の存在は衝撃的であった。
衝撃と同時に、「これは自分が考えたいことととても深いところでつながっている」という感覚を得たことも記憶している。
だが、それは当時の自分にはとうてい手に負えないテーマであった。単なる一文法事項をいったいどのように論ずれはよいというのか。”(p327)
というきっかけに、経緯から、機が熟して2017年4月に上梓された著書。
著者 國分功一郎さんの
銀座蔦屋書店で開催された『CUT AND CUT !』&『対談集 絵本のこと話そうか』刊行記念 五味太郎さんと國分功一郎さんと「絵本と哲学の話をしよう!」
に参加。
会場へ足を運ぼうと思ったのは、6月に読了していた國分功一郎さんの著書『暇と退屈の倫理学 増補新版』の内容に刺さりが多かったものの
本イベントで初めてお名前を知ることになった五味太郎さんが絵本作家とのことで、
國分功一郎さんを知ることになったきっかけの政治学者 白井聡さんとのトークイベントとは
だいぶ色合いの異なる切り口に、参加を逡巡するようなところがあったものの
いざ開演を迎え、お話しが始まると・・
先日、中間記をアップロードした
國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』を読了(注 を除く)。
本書を読んでみようと思った動機が、タイトルにある暇、退屈を感じた際に、従来と捉え方を変えることが出来れば、肯定感が高まるかなといったもの。
そのレベル感からすると、中盤で展開されている論は次元が高いと感じられるところもありましたが、
” 人は日常の仕事の奴隷になっているのか?それは「なんとなく退屈だ」という声から逃れたいためだった。
常識から言えば、奴隷になるのはとてもイヤなことだ。だが、この声に悩まされることは、それとは比べものにならないほど苦しいのだ。”(p312)
事例として
哲学者 國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学 増補新版』を読み始めてから、
全部で七章(+序章、結論ほか)まであるうちの第三章までを読み終えたので、そこまでのおさらい。
本書の冒頭「増補新版のためのまえがき」で、