堀江ガンツさんが紡いだ昭和プロレス史の要諦:『闘魂と王道  昭和プロレスの16年戦争』中間記

プロレス・格闘技ライター 堀江ガンツさんの『闘魂と王道  昭和プロレスの16年戦争』を読み始めて

全590ページあるうち283ページ(「1980  新日本ブームに対抗する切り札  馬場が3度目のNWA世界王座奪取」)まで読み終え、そこまでのおさらい。

先月(2023年2月)開催されたイベント↓

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の対象書籍として入手していた著書。

” 今も多くのファンの心を熱くする70〜80年代の「昭和プロレス」とは、すなわちアントニオ猪木の新日本プロレスと、ジャイアント馬場の全日本プロレスの存亡をかけた闘い絵巻だった。”(p2)

の一文に始まる本書は、

” 「あの時、猪木さんは会社を健全化させようとして、最初は馬場さんも賛同していたんですよ。でも、どこかで歯車が狂って、途中からみんな日プロ体制派に引っ張られて、猪木さんだけが貧乏くじを引くことになった。そうなると選手は選手はほとんど馬場派だから、「罪」はすべて猪木さんに被せられたんです」”(p32)

と日本プロレスを追われる身となり、新日本プロレス立ち上げを余儀なくされた(当時)アントニオ猪木選手に、

” 前述のとおり日テレは、日本プロレス中継を打ち切りした直後から日プロの大エース馬場を独立させるために動き、「旗揚げにかかる資金はすべて用意する。放映権料も最大限用意する」と最高条件を提示し、馬場を口説きにかかっていた。日テレにとって欲しかったのは、あくまでジャイアント馬場を頂点にした、プロレスというコンテンツ。話のわからない幹部が牛耳る日本プロレスという「団体」ではなかったのだ。”(p58-59)

という絶対的エースを軸に進められた全日本プロレス設立の真相に、1972年から1988年の年刻みで象徴的な出来事から各項目が構成され、

年ごとのエポックメイキングから展開されていく各項目(目次一部)

既に分かっていたことに、点と点として頭にあったことが線となったり、「そうだったのかぁ〜」という学びに、

これまでの(読んだ)ところは昭和プロレスが盛り上がりを見せていく過程を簡潔明瞭なタッチで読み進められており、これから自分がプロレスと接点を持ち始めた時期に突入していくので、どのような学びに発見を読書中得られるのか、楽しみです ^^


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