丸山清光さんが振り返った明治大学野球部島岡吉郎元監督からの教え:『なんとかせい!島岡御大の置き手紙』読了

前々回、中間記⬇︎をアップロードした

<< 2020年10月20日投稿:画像は記事にリンク >> 丸山清光さんが振り返った明治大学野球部島岡吉郎元監督からの教え:『なんとかせい!島岡御大の置き手紙』中間記

丸山清光さんの『なんとかせい!  島岡御大の置き手紙』を読了。

異例の栄誉

本書は、

” 競技経験のない御大は、現在ではアマチュア関係者に適用されない競技者表彰となっている。

殿堂入りの規定は改定されていて、御大が選考された時代はアマチュア関係者も競技者表彰者の対象となった。

御大の他には早稲田で監督を務めた石井藤吉郎(水戸商)が御大の4年後に競技者表彰で殿堂入りしている。

競技をしていない者への競技者表彰は、野球殿堂の中で、後にも先にも御大だけとなった。”(p161)

という監督時代の功績を讃えられた島岡吉郎監督を、野球部員として

” 私が選手時代の4年間に御大と接して、実際に起きたこと、経験したことを元に記憶を辿って記し、「吉郎語録」を10にまとめた。”(p337)

接した丸山清光さんが一冊の本として上梓されたもので、監督としての立場のエピソード以外でも

” 野球部長の武田孟(平安中ー明治)の指揮の下、御大が新たなグラウンド候補地を探し始めた。

その時の御大の八面六臂の活躍はすごいものだったらしい。どこかに空いた土地があれば、一升瓶を持参して飛び回った。そして行き着いたのが、調布市佐須町(現在の深町寺南町)であった。

農家には、「ここに明治大学が来ます。何とか土地を譲って下さい」と回り、坪7,000円前後で買い集めていったという。”(p194)

という野球部に賭けた思い滲み伝わる話しがあれば、

” 御大は隆盛極まる社会人野球時代に、ひとりでも多くの選手を一流企業チームに就職させようと奔走した。

勿論、チームの強化のために社会人チーム側から選手獲得に乗り出すケースも数多くあった。

ある主力選手に企業チームから採用の要請があると、御大は企業チームに御礼を兼ねて訪問し、採用担当役員の前で、

「この度は選手の採用、感謝します。つきましてはもうひとりの採用をお願いできませんか。こいつは、野球では一流ではありませんが、野球以外で御社には必ず役に立つはずです。ぜひ、採用をお願いします」

と言った後、担当役員の前で土下座をしたという逸話も事欠かなかった。野球を通して人間教育をしてきた中で、1人でも多くの人材を使って欲しい一心で、自ら企業に対し就職活動を行った。”(p263)

という部員の人生に情熱を惜しまなかった熱血感ぶりに、十二分に人間味伝わってくる内容で、

漠然と、その名と存在の大きさは承知していた程度であった自分の中の伝説の人物に対し、期待通り、数多くの実像を書き込むことを実現してくれた読書となりました。


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