丸山清光さんが振り返った明治大学野球部島岡吉郎元監督からの教え:『なんとかせい!島岡御大の置き手紙』中間記

明治大学野球部OBで、東京六大学野球のリーグ戦で20勝を上げた丸山清光さんが、

(当時の)野球部監督であった御大 島岡吉郎さんとの日々を振り返った『なんとかせい!島岡御大の置き手紙』が

 第1通 「ここは野球部の合宿所ではない。人間修養場だ」

 第2通 「野球の前にまず、人間の修養を積め」「人間力を磨け」「不得手に挑戦」

 第3通 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

 第4通 「島岡式勝利の方程式は、(技術x練習)x 元気 +その日の調子」

 第5週 「同じレベルだったら下級生を使う」

 第6週 「明大野球部の存在意義は早慶を倒すことにある」

 第7通 「打倒江川! 江川の高めの球を捨てろ」

 第8通 「グラウンドの神様に謝れ」

 第9通 「旧来の陋習を破れ」「悪貨は良貨を駆逐する」

 第10通 「社会に出たら労働基準法などないと思え、ひたすら働け」「一事入魂」「初月給でいい酒を買え

 返信 ー 明和寮を離れて

 敬具  ー 御大に捧げる

と章立てされているうち、第7通  「打倒江川! 江川の高めの球を捨てろ」まで読み終えたので、そこまでのおさらい。

明治大学が誇る伝説

明治大学が擁した監督といえば、真っ先にラグビー部の北島忠治監督と野球部の島岡吉郎監督が、まず頭に想起される割には

北島忠治監督のことはTV番組の特集等で何となく知れた感じがあったものの、島岡吉郎監督についてはそのような覚えなくずっと来てしまったところ

書店で本書が陳列されているのを見て、すーっと手が伸びていた次第。

” 早慶に明治を加えた三大学リーグの設立、入場料の徴収問題、そして法政が加盟後も早慶戦が行われない中で立教が加わった五大学リーグでの早慶戦復活などに積極的に関わった。

加盟校が3校から6校に至る様々な場面で、重要な役割を果たしてきたのが明治だったという。”(p4)

と、背景についてまったく承知していなかった東京六大学野球で明治大学が果たした役割に、

” 野球部に入ったころ、御大はミーティング室で選手を前に言った。

「おまえらが入った明大野球部は何のためにあるか、わかるか」

誰も答えない。

「ようし、教えてやる。明大野球部の存在意義は早慶を倒すためにある。わかったな」”(p150)

と、早稲田大学、慶應大学に示した並々ならぬ闘志に、

” 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」御大はこの言葉も選手の前でよく言った。

「稲穂がよく実ると垂れるのは、いい土と水と太陽、そして施してくれる人がいるので垂れるのであって、自分の力で垂れるのではない。稲穂はそれに感謝して穂を垂れている。」

さらに、

「野球も人の道も一緒だ。成功しても常に感謝の気持ちを持たなければならない。感謝はしてもし過ぎることはない。減るものではない。人間は常に謙虚さを忘れてはいけない」”(p50)

と歴代の野球部員に説いた心に、

島岡吉郎監督の人がらが様々なエピソードから伝わってくるようで、全344ページと分厚いですが快調に読み進められています。

卒業生には嬉しい

この他にも、

” 御大は10歳年上の北島を「忠さん」と呼び、我々選手には、

「忠さんが監督をやっているうちは、俺も辞められん。」と言って、対抗心を燃やしていた。”(p115)

と両巨頭にまつわる話しに、

” 慶応は野球以外の競技も慶早で統一して徹底しているという。明治は、早明、法明、立明、東明といい、「明」を上にして呼ぶことはなかった。

大学全体でも、ほとんど「明」を上にして呼ぶことはなかったと思う。他の大学は自校を上にする呼び方が多い。

・・中略・・

御大も打倒早慶を旗印にしていたが、明早戦、明慶戦とは一度も言ったことも黒板に書いたこともなかった。”(p165-166)

など、明治あるある?、卒業生には興味深い逸話も散見されることも読み進める上での楽しみとなっています。


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