前日 >> ジョン万次郎の生涯:小沢一郎政経フォーラム その壱 << の続き・・
講演会 ⇒ 懇親会
当初、11:00〜12:00の講演会の予定が30分ほど押して、第二部となる懇親会場へ隣の部屋に移動。
ここで、会議のため一旦中座されていた小沢代議士が戻られて、挨拶。
そして、講演を終わられて間もない中濱京さんの乾杯のご発声から・・
前日 >> ジョン万次郎の生涯:小沢一郎政経フォーラム その壱 << の続き・・
当初、11:00〜12:00の講演会の予定が30分ほど押して、第二部となる懇親会場へ隣の部屋に移動。
ここで、会議のため一旦中座されていた小沢代議士が戻られて、挨拶。
そして、講演を終わられて間もない中濱京さんの乾杯のご発声から・・
政治の事はよく分からずとも、TVのニュース等から流れてくるいわゆる政局の話題は、人間の一番ギラギラした部分が出ている感じで、興味深く見ている時間が長かったですが
その中で、小沢一郎代議士は史上最年少で自民党幹事長に就任してから、その存在を知って・・ 自民党を飛び出して、非自民連立政権を作って
・・ いろいろあって(中略)・・
今度は民主党で政権交代の立役者となり、
・・また、いろいろあって(中略)・・
そんな履歴から、豪腕と称される力量や入れ替わりの激しい政治の世界で存在感を保たれていて、「一体、どんな人なんだろう」と漠然とした興味を長く持っていて
小沢さんについて書かれた本を10冊前後読んでいる筈ですが、先週、耳寄りな情報をキャッチし、遂に直にお会い出来る機会があり行ってきました。
開演が迫った頃の入場で、結構な人の入りで後方の席を覚悟したものの中に入れば見事に最前列中央にまとまった空きがあり、ほぼ真ん真ん中をゲット。真ん真ん中でも良かったですが、ちょっと遠慮が(笑)
野党になっても忙しい状況には変わりがないようで、ほぼ定刻に始まり、まず、小沢代議士が登壇。
外交関係で、中国と上手く行っていないのは周知の事実ながら、実はアメリカとも上手く行っておらず、図らずも来日時期が重なったオバマ大統領の来日時の予定からその辺が読み解けるとの事。
その辺の話題から30分強の講演で、次がメインとされていたジョン万次郎の直系5代目の中濱京さんの講演。
9歳で父が他界して幼くして家計を支える事になったジョン万次郎(当時、中濱 萬次郎)14歳で漁に出た際、黒潮に流され、無人島に流される事に。
この時に幸運であったのは、本来の黒潮の流れであったら無人島の行き着く地勢条件でなかったものの
潮の流れによって、九死に一生を得る事になったそうな。それでも無人島の生活を余儀なくされ、船舶は破壊され、大事な物資も流されしまった状況下で、実にその期間9ヶ月程度に及んだ。
そんなある日、当初、立ち寄る予定のなかった米国籍の船舶が食料の確保を目論み島に接近。そこでジョン万次郎一行(総勢5名)を発見、救出。
そこから航路に沿って行き着いた先はハワイ。
しばしの滞在期間があったそうですが、ジョン万次郎の仕事ぶりに目が止まったホイットフィールド船長が、アメリカ本土への誘いをかけたところ、
ジョン万次郎はそれに応じ、他の4人はハワイに残る事に。(そのうちの2名はやがて帰国出来る事に)。
ジョン万次郎が行き着いた先はボストン(プリマスだったかな)。ホイットフィールド船長から惜しみい支援を受け、学校に教会に通う生活を送り、
教会に関しては当初の教会がジョン万次郎の来訪を拒否したため、受け入れ先に船長が改宗するほどの確固たる絆があったそうな。
学を身につけ、船乗りとしても地球を7周するほどの航海に出て、1回は乗り合わせていた船長の気が触れてしまい、代理を決める際に副船長に選出されるほどの溶け込みぶりであったとの事。
但し、母への思い、郷土(日本)への思いから、帰国するに十分な稼ぎを得られず、断腸の思いでホイットフィールド船長と別れ、
仕事の場を一転、西海岸のサンフランシスコで金鉱掘りに就き、帰国の費用を捻出。
十分な資金を稼ぎ、帰国が叶う状況に。もっとも、当時の日本は鎖国されており、アメリカの帰国が知られれば死刑も有り得た状況で、計画は入念に行われたとの事。
予定通りに入国を果たしたものの、郷里の高知に戻る道中、長崎の9ヶ月間など、相当の足止めがあった。
晴れて郷里の土を踏んだ時には、息子は死んだものと思い、墓が建てられていたものの、帰国の強い動機の一つであった母との面会は遂げられた。
そこからアメリカの内情に精通する者として、江戸へ出向き幕府の聴取に応じるなど、後にペリー提督が来港して鎖国が解かれる状況の土壌作りに貢献。
もっとも条約締結時はスパイ行為等の疑いをかけられ、その場に立ち会う事は許されなかった。
71で生涯を閉じられた後、中濱家とホイットフィールド家の交流は続き、今は6代目まで来ているそうな。
その間は日米開戦の前年にホイットフィールド家の来日があり、そこには開戦を阻止する狙いが込められるなど、その繋がりは民間を超えた次元に。
活動は両家に留まらず、毎年、日米で広く参加者を募られて行われているようで、今年は9月にサンディエゴで開催。
予定外の無人島来訪で繋がった縁が、1世紀以上に渡って日米両国の友好に脈打ち続ける事になった。
当初の期待になかったものの、小沢代議士会いたさに来たのがキッカケにして、名前だけ知っていたジョン万次郎の生涯を知るに至り、一人の男の熱い生き様を学ばされました。
と、ここまでで長くなってしまったので、続きは後日。
今日になって、前日の「ザ・スタート」に関するまとめで書き切れない事があったなと思い出した次第。
本にペタペタと付箋を貼付けている効果と実感したところ。
>> 起業の世界は打率1割、それが分かれば必ず成功する <<
世の中でビジネスしているインターネットを使っている事が一般的であろうと思いますが、そこで付き物と言えるのが一方的なルール変更(例: 検索エンジンのアルゴリズムが変わる)。
そういった事に少なからぬ人たちが影響を受けてしまう一方で、本著の共同著者のお一人(加藤一郎さん)は・・
ルールやシステムがどう変わろうが、自分のビジネスには微塵も悪影響を受けない人もいます。(p200-201)
として、そのような存在に君臨するには5つのステップ(p201-202)があるとしています。
ここから5項目に関して注釈が入り・・
1. 2. 4.は感性、直感に負うところが大きいので右脳的アプローチと言えます。
3. 論理的思考によるものなので左脳的なアプローチとなります。
5. は右脳と左脳を統合して活性化させる作業だと言えるでしょう。
ここでポイントなのは、著者は上記から抽出された・・
キー・エリア以外のビジネスには、(それが、儲かるビジネスだとわかっていても)手を出しません。
その心は・・
自分がそれをやっても全力を出せない、続かないことがわかっているからです。(p202)
この過程を自分の消化する事が「最強の方法論」であるとされています。自分の解釈では・・
1. まず、自分の興味はどこにあるかを把握(=強みにつながる)
↓
2. 次に世の中の事象を捉えてマーケティング(競合度合い、差別化の可否等)
↓
3. パートナー探し等を通じて、自分の立ち位置を際立たせる
言葉にして書くと「出来るかな?」なんて不安も過りますが・・
それが出来るかどうか、この段階に至る上で重要な事は如何に5段階の最初のステップで
「 己(自分の興味、強みを)を知る事が出来るか」という事に尽きるんでしょうね。
人間誰しも、好きな事(分野)では、とかく没頭の境地に入りやすく、思った以上の結果を出せますものね。
人それぞれの興味が違うところが、この手の分野の悩みを深くしているところでもあり。
前日は披露宴に出席する一方で、久々に本を読了=「ザ・スタート」
出だしは、こちらで立て続けに紹介するなど、具体的な記述に見せられましたが、
>> 街歩きの視点を変えるだけでビジネスは始められる:「ザ・スタート」読み始め <<
>> ライスワークとライスワークの違いがもたらす未来 <<
後半は・・
「海外のトレンドが1年後、日本に上陸する」/ 「日本の流行が1年後、世界に飛び火する」(p129)
「どんな市場でも、興味を持ってくれる人が100人いたら、そのうちの1人が買ってくれる、という割合なんですよ。だったら、100人全員に商品を1万円で売ることよりも、その1人に100万円で買ってもらうことを考えたほうがいい。」(p160)
といった目の付け所や
インターネットビジネスの世界で成功した人たちには「ネットが苦手、あるいはコンピュータそのものに無知な人が少なくない。」(p209)
として、それらの人たちが成功した理由は、ただ一つ。
「誰かが気づく前に、彼らがそれをやったからです。」(p209)
と、要は普段から人と違った視点で物事の捉えておく事の重要性が説かれています。
起業を志す人たちへ向けても、「ビジネスなんて、10に1つ当たればいいほうなんです。」(p224)と、頭で一見厳しい現実も指摘されていますが
「大切なことは、何度でもチャレンジすることだ。」、松下幸之助さんの言葉から「失敗したところでやめてしまうから、失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる」(p227)
つまり、ビジネスは・・
「10回起業すれば1回くらいは大成功する」(p224) ・・(成功するまで続ければ)・・「 誰でもいつかは100%成功するってことです。」(p227)
と至って前向きに締め括られています。
結論部を更にまとめると・・
「失敗を恐れてはいけない。」(p224)
に集約されるものと読みました。
誰がやっても失敗は付き物なんだから、成功するまで続けよう。これが5人の起業家から本書に込められた思いですね。
昨年の4/20-21の2日間、プロフェッショナルブロガーの立花岳志さんの「人生を劇的に変える!超実践2daysワークショップ」という
サラリーマンから親の借金を背負った状況からブログや作家として生計を立てられる道を選んだ立花さんの生き様から、12名の受講生と共に、そのエッセンスを学ぶ2日間があって、
そこから1ヶ月後であったり、半年後であったり、折に触れて近況を共有する会が開かれていたのですが、
満1年を迎えた本日、受講生同士が挙式を迎える!という事で、披露宴と二次会に出席してきました。
出逢ってから1年、ワークショップが終わってしばらく新郎新婦が親密でなかった事を考慮すると
半年かそれに満たない期間で、この日を迎えて、そのスピード感に「凄いなぁ」なんて感慨もありましたが
こういった縁もの、早い遅いは関係なく、どこかしらに必然を見出したり、見出されたりするもので
今回のカップルは半年弱で次のステージを迎える事になったのだと思います。
最後、披露宴の見せ場、ご両家からの挨拶で、新郎のお父様が、新郎が暫く、家と会社と往復する毎日で、この日を迎える展開は想像出来なかったとの裏話や、
新郎からも上記状況に対して、「このままじゃいけない」と、まずTwitterにアカウントを作って、「おはようございます」と呟いたところ
立花岳志さんから呟きに対する応答があり、そこから飲み会のお知らせが届いて、そこからの展開が巡り巡って今日の出来事を迎えたそうです。
とかく、人はやった事に対して即変化を求めがちですが、小さな一歩がキッカケとなって、その後の展開に結びつく事、意識していないだけで
結構ありそうですね。また、結婚というと人生での大きな決断の一つとなりましたが、
先週の私的主人公アンソニー・ロビンズが言い切ってましたが、「人生は鼓動一つの瞬間で変わる」と。
仲間の晴れ舞台に触れる機会に立ち会え、行動する事、決断する事の大事さを再認識する事が出来ました。
花粉症になって以来、20年以上のベテラン?ですが、大概、それに悩まされるのが3月前後という感じ。
今年は、さほどお付き合いさせられる事なく過ぎ去った感も、昨日、今日になって、鼻であったり、ゴホンゴホンと ーー;
スギの次されるヒノキ(他、数種あるようですが・・)の影響?
風邪を引いたのでなし、恐らく「花粉症」と思っていますが、こうして感じるのは、
普段、健康でいる事の有難みですね。体調崩すと集中する事が難しくなり、「まず治そう」との意識が働いて
取りかかる事が大きく制限される実態。方や、日頃から継続している日課(例えば、本ブログ)があると
途中、途切れぬ事がないように「それはきっちりやっておこう」との意識が勝り、
習慣が定着している事の効用を実感出来ます。
「明日、良くなろう」の心意気ながら、風邪の場合、寝ていれば良くなるかも?の淡い期待も、
花粉症の場合、季節的なものだけに悩ましいですね。
前日に、メジャーリーガーに復帰した川崎宗則選手の話題を取り上げた矢先、
>> 帰ってきたメジャーリーガー川崎宗則に学ぶ見事なまでの潔さ <<
マイナー降格となってしまったようで、、
>> ムネリン、降格にも前向き <<
「こういうのがメジャー」と、ここでめげない(めげた様子を見せない)のも川崎選手のメンタルタフネスかと。
アメリカのメジャーリーグ(ベースボール)、大型契約で入ったニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手が期待に沿った感じのデヴューを遂げた裏で
メジャー3年目の川崎宗則選手も主力選手のケガによって巡ってきたメジャー昇格のチャンスで「らしさ」を発揮している様子。
その模様は
>> 帰ってきた川崎宗則とブルージェイズの絶妙な関係 <<
で、読んで知った次第(斜め文字は記事からの抜粋)。
合流初日のチームメイトとのやり取りで
「What time is Stretch, Kawasaki?」とチームメイトが話しかける。川﨑はそれに何気なくスペイン語で応え、相手を笑わせる。彼の周囲にはいつも「やつと話すと、楽しい気分になれる」という雰囲気が満ちている。そして、それは去年からずっと続く、川﨑とブルージェイズの間にある幸福で絶妙な関係である。
チームを率いる監督曰く・・
「選手としては何かを起こす選手だ。正しく野球するだけではなく、彼の周りではいつも何かが起きる」
昨年の試合でサヨナラ打つを飛ばしてお立ち台に上がった際は・・
「チームメイトがチャンスをくれたから、何とかしたかった」と小さなメモを読みながら英語で叫んだ。これがファンの心を捉えた。彼らの中に「ブルージェイズのために献身的なプレーをする面白い日本人」という像が確立されたのだ。
この発言自体、日本人が言う分には特別な感じはしないですが、それをつたない(であろう)英語表現ながら堂々とした姿勢も相俟っての事であったのでしょう、きっと。
また、チームメイトから慕われているエピソードとして・・
ドミニカ出身の選手に背中からしつこくスペイン語で話しかけられていた川﨑は、スペイン語で何度か答えた後に突然、振り向いてこう言うのである。
「そんなこと言ったって俺には全然、通用しないんだぞっ!」スペイン語に対する日本語だから、きちんと会話が成立しているわけではない。
それが、どんな感じなんだろうと、たまたま見ていた動画で、片言の英語で一所懸命コミュニケートしている川崎選手の姿があり、
ここでも途中、日本語で堂々としている場面(13:05〜)があり(笑)ベンチ内でも、恐らくこんな ↓ 様子であったろうと・・
▪️Kawasaki and DeRosa on International Talk
記事では、川崎選手のこういった姿勢を評して・・
当たり前の話だが、コミュニケーションを取るというのは、共通の言語で正しい文法に則って話し合うことではない。たとえ言葉が通じていても、コミュニケーションの取れない輩はいる。
・・ 中略 ・・
“メジャーリーグの現場”で言葉が通じなくとも相手にぶつかり、選手やコーチだけではなく、ファンやメディアとも気持ちを通じ合わせている川﨑の姿は、頼もしい。
川崎選手のメジャーリーグ挑戦は、強い憧れを抱くイチロー選手の背中を追いかけてという状況で、当時イチロー選手所属のシアトル・マリナーズでないと、実現しなかったメジャーリーグ挑戦でしたが
その意気込みに関しては・・
「やってやろうという気持ちがなければ、(アメリカに)来てない。そういう気持ちは小学校の時から変わってないよ」
福岡ソフトバンクホークスに留まっていれば、レギュラーを約束された状況で、チームから一目置かれる存在であった筈で、
年俸も何倍も良い条件であった事と思いますが、やりたい事にこだわって、幾ら本人の調子が良くても、レギュラーがチームに戻ってくれば
また、マイナー生活など不安定な野球生活が待っているかもしれないにもかかわらず
表舞台では底抜けに親しみが伝わるその姿勢は、人間としての素晴らしさを感じますし、
目に見えない所での(野球への)努力は最善を尽くしてからこその賜物であろうと、記事を読んで大いに勇気付けられました。
久々、金券屋を眺める機会があり、だいたい使う時は映画の前売り券を探し求めてといった感じですが
フランチャイズとしていた新宿ピカデリーが2月一杯でポイントカードを(一旦?)止めてしまった事もあり
距離が遠のいてるなぁと。そんなんで、ショーケースを見ているうち「あれも観たいなこれも観たいな」と。
ベン・スティーラーの映画は個人的に相性が今ひとつのところがあったものの、予告編で観ていて「今回は合いそうかな」と。
ただ、友人界隈の評判をトータルすると「さほど」といった感じも。次の映画の日にやってれば、観たい作品の1番ですね。
それぞれ、ボクシングを題材にした作品を代表作の一つに持つロバート・デニーロ(「レイジング・ブル」)と、シルベスター・スタローン(「ロッキー(シリーズ)」)の共演。
ロバート・デニーロ作品は「ライフワークとして観よう」との意気込みですが、期待度の方は今ひとつ盛り上がらず。
予告を見る限り、パロディの要素も入っている様子ですが、双方、肉体改造に着手するなど、特にデニーロのプロ魂はスクリーンで感じたいですね。
ロードショー期間が長引く事を願ふ。
本作は、金券屋の店頭で公開(予定:5/24)を知った次第。ラスベガスで・・ 4人組で・・ となると、必然と「ハングオーバー」が想起されますが(笑)
あれほどの笑劇はちょっと期待出来ないですが、このキャストならではの世界は楽しみにしたいです。
ってことで、まずは「ライフ」だな〜