「Sports」カテゴリーアーカイブ

野村監督こと野村克也さんに学ぶ、変わることを厭わず、頭と言葉を武器にして起こした番狂わせの法則26:『究極の野村メソッド 番狂わせの起こし方』読了

野村監督こと野村克也さんの著書『究極の野村メソッド  番狂わせの起こし方』を読了。

先日参加したトーク&サイン本お渡し会の対象書籍として入手したもの。

<< 2018年3月28日投稿:画像は記事にリンク >> 野村監督こと野村克也さんが語った2018年のプロ野球界と監督の器:『番狂わせの起こし方』刊行記念 トーク&サイン本お渡し会 参加記

まず、タイトルを見て、昨年(2017年)出版された元千葉ロッテマリーンズ里崎智也さんの著書

<< 2017年3月5日投稿:画像は記事にリンク >> 里崎智也さん(元千葉ロッテマリーンズ)に学ぶ、「エリート」を倒し、「一番」になる方法:『エリートの倒し方』読了

(『エリートの倒し方』)を思い出し、「(下克上的なこと)今、世の中で求められているトレンドなのかなぁ」と。

番狂わせの起こす人の条件

続々と出版されてくる印象の野村克也さんの著書、(時事ネタ以外)今さら新しいことと云うよりも

テーマによって、野村克也さんのお考えに切り込まれるアングルが異なるとの感覚ですが、本書では

続きを読む 野村監督こと野村克也さんに学ぶ、変わることを厭わず、頭と言葉を武器にして起こした番狂わせの法則26:『究極の野村メソッド 番狂わせの起こし方』読了

川﨑宗則選手の福岡ソフトバンクホークス退団/自由契約報道に触れ感じたこと

今週始まって早々にびっくりしたのが、

最初に経緯を知ったYahoo!ヘッドライン

川崎宗則選手の福岡ソフトバンクホークス退団(自由契約)の知らせ。

出典:福岡ソフトバンクホークス公式サイト(画像は記事にリンク)

昨シーズン終了後から動静が伝えられることが殆どなく、先週取材に応じた(川崎宗則選手の)お父さまが

出典:NEWS ポストセブン(画像は記事にリンク)

「生きてますよ」「時期が来たらあの子なり球団なりから発表があると思いますから」といった前フリ?から

週明け早々に、この展開と、、。

まず何よりも願うこと

福岡ソフトバンクホークスファンでないがゆえ、大リーグ挑戦を終えた時点で自分の中では一区切りといった感はありましたが、

<< 2017年4月2日投稿:画像は記事にリンク >> 川崎宗則選手、6年ぶりに日本球界復帰/福岡ソフトバンクホークス入りを決断。

特別に声援をおくりたい選手であることに変わりなく、

今回の報道に、ご本人の「自律神経の病気にもなり・・」のコメントは衝撃的で、

出典:Sponichi Annex(画像は記事にリンク)

内幕に迫った記事↑もさっそく出ていましたが、

ファンとしては何より今は体調を快方に向かわせるだけを願い、また、元気な姿を我々ファンの前に表してほしいと切に願うところです。

野村監督こと野村克也さんが語った2018年のプロ野球界と監督の器:『番狂わせの起こし方』刊行記念 トーク&サイン本お渡し会 参加記

八重洲ブックセンター本店で開催されたプロ野球解説者 野村克也さんの新著『番狂わせの起こし方』刊行記念トーク&サイン本お渡し会に参加。

100名の参加者枠は早々に満席に

 19:00-19:30  トークショー

 19:30-1945  質問タイム

 19:45-20:15  サイン本お渡し会

という構成で、

拍手に迎え入れられ、野村克也さん登壇

トークショーでは2018年の順位予想に絡めて、セントラルリーグの監督のうち5名が外野手である点に言及、

話し始めると止まらない語り(incl.ぼやき)

「外野手に名監督なし」の持論を展開(頭を使う必要がない)されるところから始まり、次にダメなのがピッチャー(バッターしか見ておらず、視野が広がらない)だと・・

(2018年ペナントレース)順位予想タイム

そのような前段(12球団の監督をみると担い手がいないと結論)を受け、進行の方と掛け合いで辛うじて示された順位が

続きを読む 野村監督こと野村克也さんが語った2018年のプロ野球界と監督の器:『番狂わせの起こし方』刊行記念 トーク&サイン本お渡し会 参加記

オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:「おかえり、ファーディー」スコット・ファーディー 6年半ぶりの釜石帰還

「おかえり、ファーディー」スコット・ファーディー 6年半ぶりの釜石帰還

” 「ファーディー!ファーディー!」

小さな体育館に子どもたちの愛らしい掛け声が響く。被災地・岩手県釜石市の小佐野小学校。

歓声の先では、あごひげ、坊主頭の197cmのオーストラリア人が楕円のボールを追いかけていた。

3月12日の月曜日の午前。震災時、釜石のラグビーチーム、釜石シーウェイブス(SW)に所属していたスコット・ファーディー選手が6年半ぶりに”里帰り”した。

『復興「ありがとう」ホストタウン事業』の一環だ。小学校では、6年生の子どもたちと交流し、タグラグビーを一緒に楽しんだ。

「子どもたちが元気で疲れました」と、ファーディーは顔をほころばせた。

33歳のラグビーワールドカップ2015年大会の豪州代表選手。まじめな性格は相変わらずで、子ども相手でも必死に走り回った。

「最高の時間を過ごせました。ずっと釜石のことを想っていました。懐かしい。まちの復興の様子も見ることができて、うれしかったです」

あの日、この日参加した子どもたちはまだ、4歳か5歳だった。2011年3月11日。ファーディーは釜石に来て3年目だった。「人生を変えるような瞬間」を体験した。

練習後、山側の自宅に戻った時に大きな揺れが始まった。まちの海側は津波に襲われた。釜石では1,000人を超える死者・行方不明者を出した。混乱、絶望、失意……。

震災直後、釜石を訪ねた際、ファーディーは怪力を生かし、元ニュージーランド代表のピタ・アラティニらチームメイトと一緒に救援物資センターで大きな荷物を運んでいた。ボランティア活動だった。

当時、ファーディーは26歳。オーストラリア大使館の車が釜石にやってきて帰国を勧めたが、その申し出を断り、釜石に残って救援活動に奔走していた。彼は「ここに仲間がいるから」と理由を説明した。

「だって、ラグビーはワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン(ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために)でしょ」

東日本大震災から7年を迎えた11日、ファーディーは釜石に戻ってきた。

いま、アイルランドのクラブチームに所属している。優しく、思いやりのあるファーディーは所属クラブのウェアやグッズの土産をわんさとスポーツバッグに詰めて、釜石に帰ってきた。

その日の夜は釜石SWの松倉グラウンドそばの酒・雑貨屋の隅っこでラグビー仲間と缶ビールを口にした。笑い、語らい、人生の不思議さを思った。「運」と「縁」である。

ファーディーと同じく2009年に釜石入りした長田剛コーチは顔をくしゃくしゃにする。3年間、一緒にプレーした。ふたりは大の仲良しだった。

「彼(ファーディー)とは、よく一緒に飲んでいました。ずっと釜石を忘れずにいてくれたのはうれしいですね。誇りにもしてくれているのかな」

ラグビーワールドカップ2019アンバサダーも務める釜石SWの桜庭吉彦ゼネラルマネジャーはこう、漏らした。

「心強いですね。ええ、彼の思いが。釜石に戻ってきて、昔のように振る舞ってくれる。心強いです」

12日朝、ファーディーはひとり、ホテルの周りを散歩した。震災当時、瓦礫(がれき)の山だった川、海沿いの市街地を歩いた。

まちはほとんど復旧している。でも、プレハブの仮設住宅はまだ、釜石市内には残っている。

復興はまだ、道半ばであろう。その過程において、来年秋、釜石でも開催されるラグビーワールドカップが復興を促進させる「希望」となっている。

ファーディーは、小学校訪問のあと、震災で津波に飲み込まれた鵜住居(うのすまい)地区に建設中の釜石鵜住居復興スタジアム(仮称)も見に行った。

鉄骨で組み立てられた櫓(やぐら)の上まで上がった。気温7度。潮風は冷たく、櫓の上はちょっぴり怖かった。

青空の下、北西の大槌湾に向かって翼を広げているように見える白色のメインスタンドの屋根がキラキラ光っている。観客席の設置や塗装工事、芝張りなどはこれからだが、土台部分はほぼできあがっている。

スタンドの屋根は新たな釜石の船出を象徴するかのごとく、白鳥が羽ばたいているようにも見える。ファーディーは漏らした。

「いいスタジアムだな。小さなラグビーのまちに小さなラグビーのスタジアム。でも、大きく、未来に向かって飛び立つみたいだ」

釜石でのワールドカップはお祭りみたいな大会にしてほしい、と言葉を足した。

「釜石の祭りを見て、熱い人が多いなと思っていました。ハートフルな人が多い。試合も祭りみたいになるんじゃないでしょうか。釜石ソング(釜石SW応援歌)も、釜石のフラッグ(大漁旗)も。にぎやかになる」

ファーディーはこのあと、松倉グラウンドに車で戻り、釜石商工高校と釜石高校のラグビー部員にラグビーを指導した。

夜は、野田武則市長らと共にタウンミーティングに参加した。一日中、釜石市民との交流を楽しんだ。

「おかえり、ファーディー!」と銘打ち、来年のラグビーワールドカップへの期待などを語り合った。

そういえば、冒頭の小佐野小学校のタグラグビー交流のあと、ラグビーワールドカップのことを聞くと、ラグビーチームのキャプテン、小学校6年の及川勝太くんは目をキラキラと輝かせながら、こう言った。

「釜石のみんなが元気で明るくなれるような大会になってほしい。これだけ、まちが復興したんだというのを、みんなに見せられるような大会にしたいんだ」

小佐野小学校の2階の校長室。壁にはひとつの白い色紙が飾ってある。真ん中には大きな黒い文字でこう書かれている。”(出典:web Sportiva

続きを読む オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:「おかえり、ファーディー」スコット・ファーディー 6年半ぶりの釜石帰還

オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:オーストラリア野球連盟CEOの野望 ②

オーストラリア野球連盟CEOの野望 ②

” 「アジアシリーズを再開させ、オーストラリアで開催を」

――過去2シーズン、社会人野球のホンダ硬式野球部から選手が派遣されていますが、社会人チームについては、どうお考えですか?

「ホンダは16/17シーズンはシドニー、17/18シーズンはアデレードに選手を派遣しました。

ABL各チームとも、NPBだけでなく社会人野球チームとの提携にも、非常に大きな将来性があると感じています。

双方が選手派遣し合えるような、可能性のある選手がどちらの国にもいるはずです。また、オーストラリアの気候を生かし、ぜひトレーニングキャンプにも来ていただきたいですね」

――エクスパンションのほかには、どんな改革を考えていらっしゃいますか?

「計画は、たくさんありますよ。大きなものはABL以外で、実はいま、CPBLにオーストラリア人のチームをひとつ持っていけないか、話し合いを進めているところです。

それから、われわれはアジアシリーズの再開を強く望んでいて、数年後にはぜひオーストラリアで開催したい。

そのためにも、それに見合う新スタジアムか、あるいは現存のスタジアムのアップグレードを考えています。

それができれば、年代別のワールドカップやWBCの地区予選など、大きな国際大会をオーストラリアで開催することも可能になりますからね」

――ABLのリーグ発足の2010年から5年間は、MLBがABLの株75パーセントを持ち、その投資のもと、リーグを運営していました。16年にMLBがその株を手放し、BAが100パーセントの株主となって2シーズン。リーグの存続を危ぶむ声すらありましたが……。

「確かに、この2年間は厳しかったですよ。だからこそ、こうした思い切った改革につながったわけです。

ただ昨シーズンからABL中継の視聴率が――日本もそうなんですが、特に台湾で顕著に伸びているんです。

これは喜ばしいことですし、いかに野球が日本や台湾で人気のスポーツなのかをあらためて実感しています。

アジア地域を重視して連携を深めることは、経営面でも非常に大切であるといえますね。厳しい2年間を経て、今また成長を始めているところと理解してください」

「アジア各地域に選手を送り込みたい」

――今後のオーストラリア野球発展のためには、さらに何が必要ですか?

「やはり、ABLの発展ですね。スポンサー、放映料、チケットや物販の収益で、選手の報酬を上げること。

そしてオーストラリア人選手には、プロとしてプレーする機会をより多く与えてあげたい。

まだ多くのオーストラリア人選手は、ほかの仕事と掛け持ちで野球をしています。

彼らが“フルタイムのプロ野球選手”としてプレーできるよう、後押しをしていかなければなりません。

また先ほども申し上げたように、国内に素晴らしい施設を作って、トップエリートを育成できるようになることですね。

この3つが叶えば、代表チームはさらに強くなり、野球というスポーツの認知度も上がって、野球のすそ野も広がります。

わが国は、世界有数のスポーツ大国と言われています。いつか野球をオーストラリアのNo.1スポーツにするのが、最大のゴールですよ」

――今回の日本遠征の収穫と、今後の日豪関係について、お教えください。

「今回の遠征では、スティーブ・フィッシュ新監督率いる新チームの国際的なお披露目ができました。

また、東京都府中市とは今回の親善試合だけでなく、19年のプレミア12、20年の東京五輪でも事前キャンプ地とする契約を提携しています。

今回は市内の小学校で子どもたちと交流して、大歓迎してもらい、“まるでロックスターになった気分だった”と、選手たちもみんな喜んでいましたよ。

NPBやJABAともよい話し合いができ、この先各チームとの前向きな話し合いにつながりそうです。

両国は政治的にも、ビジネスや貿易面でも、また観光や教育面でも、重要なパートナー。

野球を通しても、これからさらに素晴らしいパートナーシップを築いていくことを願っています」

――ところでこれは質問ではなくお願いでもあるのですが、もっと積極的にオーストラリア人選手を日本へ送り込んではいかがでしょうか。

「そうですね(笑)。オーストラリア人選手は、大学からアメリカで野球をする選手も多いため、やはりアメリカが第一の目標になってしまうんですよ。

でも、私の仕事はオーストラリア人選手の仕事場を増やすこと。

オーストラリア人選手だからといって、アメリカ野球が合う選手ばかりではありませんし、日本で長く野球ができるのなら、それは彼らにとってもいいことです。

アメリカと、日本を含めたアジア地域に、同じくらいの数の選手を送り出せるようになるといいですね。

私は押しの強いCEOなので(笑)、選手たちにもそう言って、日本球界入りを勧めていきますよ」”(出典:週刊ベースボール ONLINE

続きを読む オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:オーストラリア野球連盟CEOの野望 ②

オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:オーストラリア野球連盟CEOの野望 ①

オーストラリア野球連盟CEOの野望 ①

” 3月3日ナゴヤドーム、3月4日京セラドームで、侍ジャパンとオーストラリア代表チームの親善試合が行われた。

このオーストラリア代表チームを率いて今回来日したのが、同国野球連盟(Baseball Australia、以下BAと略)CEOのカム・ヴェール氏。

昨年4月に就任以降、傘下のプロ野球リーABL(Australian Baseball League)を含めたBA改革に乗り出している同氏に、これからの同国野球と日豪関係について聞いた。

「豪州野球の輝かしい将来へ、この2カ月が正念場」

――ABLには日本からもNPBの埼玉西武ライオンズ、社会人のホンダ硬式野球部が選手を送り出しています。今回の改革の目玉として、現在の6チームによるリーグが、来季から8チームに拡大するそうですね。

「そうです。リーグ発足9年目となる来季は、新たに2チームを加え、8チームによるリーグ戦を計画しています。

それと同時に、既存の6チーム(メルボルン、シドニー、ブリスベン、キャンベラ、アデレード、パース)についても、

日本や韓国のプロ野球と同様、親会社となる民間企業を探しているところです。

新たに加入する2チームのうち1チームはおそらくニュージーランドから、1チームはオーストラリアの別の都市かあるいはアジアからの加入になる予定です」

――12月にその構想が発表されてから、2カ月超。進捗状況はいかがですか?

「手ごたえを感じています。選手たちの(17/18)シーズンは、今回の日本遠征をもって終了。

これからの2カ月が、われわれにとっては正念場ですね。この3月、4月で新加入の2チームを確定し、既存の6チームの新オーナーによる運営を始めなければなりません。

この2カ月の運び方次第で次の18/19シーズンだけでなく、さらにその先、リーグをどこまで大きくできるか、将来像が見えてくるのではないかと思います」

――オーストラリア国内では、どんな都市が新チームの本拠地候補に挙がっているのでしょうか。

「日本人の皆さんにも観光地として有名なゴールドコーストをはじめ、以前千葉ロッテがキャンプを張ったジーロン、ほかにウーロンゴン、タスマニアなどが、候補地に名乗りを挙げています。ニュージーランド国内にも候補地がありますよ」

――ニュージーランドにも、プロ野球を開催できるスタジアムがあるんですね。

「来シーズンから野球場としても使えるラグビー・スタジアムを今、検討してもらっているところです」

――ニュージーランドのチームは、いわば野球のニュージーランド代表のような選手構成になるのですか?

「ニュージーランド人の選手中心ではありますが、既存の6チーム同様、国外からの選手も加えることになります。

MLBとの提携(マイナーチームからの選手派遣)は長年続いていますが、アジア3カ国のプロ野球からより多く選手を派遣してもらえるよう、NPB、KBO(韓国野球機構)、CPBL(中華職業棒球大連盟)とも話し合いを進めています。

NPBに関していえば、将来的にABL各チームとNPBの各チームが個別に提携を結び、3~5選手を派遣してくれることを期待しています」”(出典:週刊ベースボール ONLINE

続きを読む オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:オーストラリア野球連盟CEOの野望 ①

オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:ジョージ・コロンズさん、99歳で世界新記録樹立

ジョージ・コロンズさん、99歳で世界新記録樹立

” オーストラリア人男性のジョージ・コロンズさん(99歳)は先月28日、50メートル自由形で自分の年齢区分での世界記録を更新したもようだ。

コロンズさんは、オーストラリアのクイーンズランド州ゴールドコーストで行われた公式イベントで56秒12のタイムを出し、100〜104歳区分の新記録を打ち立てた。コロンズさんは4月に100歳になるため、この年齢区分の資格がある。

2014年に作られたこれまでの記録を35秒縮めた。公式認定のため国際水泳連盟(FINA)が審査を行う。

コロンズさんはBBCの取材に、「とても喜んで」おり、結果には「天にも昇る気持ち」だと語った。

「自分としてはお手本みたいな泳ぎだった。バランスが取れていた。(中略)最後には、(壁を)手で思い切り強く叩く準備ができていた」。

コロンズさんはまた、観客からの「大声援」に圧倒されたと話した。このイベントは、コロンズさんの記録挑戦のために特別に用意されたもので、コロンズさんはイベント唯一の出場者だった。

「我々はたった今、歴史が生まれる瞬間を目にした!」とオーストラリア水泳代表チームの「オーストラリアン・ドルフィンズ」はフェイスブックに投稿した。

「エンジンがかかるまで時間がかかる」

ブリスベン在住のコロンズさんは、若いころは真剣に水泳に取り組んでいたが、再び始めたのは80歳になってからだと話した。

「(第2次世界大戦)戦争が始まったころに諦めて、仕事を辞めるまで水泳らしきことは全くしなかったと思う」と述べた。

「水泳を再開したのは、運動のため」

コロンズさんは、レースは「紛れもなく」身体的に負担だが、練習で対処できると語った。平均で週3回泳ぎ、ジムでのトレーニングも組み込む。

「この年齢ではエンジンがかかるまで時間がかかるし、ずっと疲れやすくなる。でも分別を持ってやれば、恩恵は計り知れない」と話した。

記録を更新できた要因は、ペースの取り方と技術だとしている。

「最初の十数回のストロークはバランスが取れていたし、コツはただ着実に続けること。ストロークごとにほんの少しずつ力を増やして行って」

「それを最後の10メートルまで続けた。自分が疲れていてもう終わりだと思ったけど、動揺せずに進み続けた」

これまでの記録は1分31秒19で、英国人のジョン・ハリソンさんが2014年に作ったものだ。

コロンズさんのレースは、英連邦に属する国や地域で競い合う大会コモンウェルス・ゲームズの予選会のオーストラリア水泳選考会に先立ち行われた。

コモンウェルス・ゲームズは4月にゴールドコーストで開催される。マスターズ水泳オーストラリアによると、記録は国際水泳連盟が公式認定審査中だ。

コロンズさんは、3日夜に100メートル自由形に挑戦する予定だ。こちらも現在の記録はハリソンさんが作った3分23秒10だが、コロンズさんは記録を破ることができると考えている。

「自分は決して若くはないが、心から楽しみにしているし、いい泳ぎができる自信がある」と話した。”(出典:BBC NEWS JAPAN

続きを読む オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:ジョージ・コロンズさん、99歳で世界新記録樹立

オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:オーストラリア代表、侍ジャパンに連敗

オーストラリア代表、侍ジャパンに連敗

” 野球日本代表「侍ジャパン」が4日、京セラドーム大阪で行われたオーストラリアとの「ENEOS 侍ジャパンシリーズ2018」第2戦で6-0と完勝した。

先発の則本(楽天)が2回5奪三振1安打無失点と好投を見せると計6投手の継投で相手打線を完封。

打線も9安打で6点を挙げた。2戦連続完封負けを喫したオーストラリアのスティーブ・フィッシュ監督は試合後の会見で「日本は世界でベスト」と脱帽した。

ナゴヤドームで行われた第1戦は投手戦の末に2-0で日本が勝利。迎えたこの日は日本の投手陣がまたも完封リレーを見せると、打線も1番・秋山(西武)が3安打2打点、2番・松本(日本ハム)が2安打3打点を記録するなど序盤から得点を重ねて完勝した。

試合後の会見ではオーストラリア代表を率いるアメリカ人指揮官も脱帽。

「日本は世界でベスト。走攻守すべてにおいてパーフェクト。我々の目標は日本のようなチームになること」とその実力を称えた。

また第1戦で好投した先発・千賀(ソフトバンク)に続き、則本も高く評価。「いつかアメリカでプレーしてもおかしくない」と話していた。”(出典:Full-Count

続きを読む オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:オーストラリア代表、侍ジャパンに連敗