心屋仁之助さんが紐解くシンデレラに学ぶ恋をハッピーエンドに導く法則:『ゲスな女が、愛される。』読了

心屋仁之助さんの『ゲスな女が、愛される。』を読了〜

何ゆえ突然、タイトルからして独身女史が想定された本を手に取ったかというと・・

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<< 2015年10月18日投稿:画像は記事にリンク >> 心屋仁之助さんに習う数多の実践者の人生を変えた『一生お金に困らない生き方』(読了記)

先日、アップロードした ↑『一生お金に困らない生き方』読了記の中で、チラッと触れた心屋仁之助さんのサイン会に出るために購入した一冊。

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(2015年)10月初旬、八重洲ブックセンターで開催された心屋仁之助さんサイン会

積読本にしなかったのは、本書では独身女史が切り口にされているものの、心屋さんの著作毎で変わることのない普遍的なメッセージは本書から拾えるであろうとの見立てから。

実際、それは当たっていて・・

” やめる。手放す。断る。離す。捨てる。絶つ。

そういう勇気を出したときはじめて、「ありのままの自分」がどういうことか身をもって体験することができます。

「ありのままの自分で、大丈夫なんだ」とはっきりわかります。

うまくいっても、うまくいかなくても、自分の価値が変わらないことが実感できると、な〜んか知らんけど、うまく回り出すようになるのです。”(p124、125)

「頑張ることに逃げないで、ありのままの自分を受け容れる」ことに始まる幸せについては、本書でも一貫した心屋さんからのメッセージとなっています。

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参考図書  << 2015年9月11日投稿:画像は記事にリンク >> 心屋仁之助さんに学ぶ「好きなことだけ」で生きると決意する覚悟:『「好きなこと」だけして生きていく。』読了

なお、やめる、手放す、断るとは・・

” 誰かの期待に応えようとがんばるのを、やめた。がむしゃらに稼ごうとするのを、やめた。結果を出さなきゃ!と焦るのを、やめた。

がんばる、稼ぐ、結果を出す。つけ足し、つけ足しの人生には際限がありません。だから足し算の女はしんどくなる。”(p124)

足し算の女とは、本のプロローグに、合コンでバーベキューに出掛けた際のケーススタディで説明(以下、抜粋)されており・・

” あなたに「ちょっといいな」と思う彼がいるとします。あるとき、彼も含めた男女数名でバーベキューに行くことになったとしましょう。

そんなチャンスが到来したら、あなただったらどうしますか?

彼にいいところを見せようとして、せっせと肉を焼いて、野菜も焼いて、シメの焼きそばまで作って・・・。

その合間には、みんなにビールやらワインをついであげてと、かいがいしく働くかもしれません。

だって、そこまで気がきいていたら彼は喜んでくれそうだし、なんといっても家庭的でかわいい子だなって、彼のあなたに対する評価が上がるかもしれないからね。”

これが、心屋さんが定義する「足し算の女」。方や対極には引き算の女がいて、それは・・

” 一方で、こんな女子がいたらどう思いますか?肉を焼く気がないどころか、「日焼けする〜!」と言って、車の中で避難している子。

時々、車から降りるときも、ツバの広〜い女王様みたいな麦わら帽子をかぶって、まぶしそうに出てくる子。

挙げ句に「ここってトイレまで遠い〜」なんて文句まで言う子。

そんな子がいたら、内心、「あんた、なにしにバーベキューに来たの?」って毒づきたくなりますよね。

また同時に、「ま、いっか。こんな子、どうせモテないから」って、ライバルが1人減ったぐらいに思うかもしれません。”

「そんな子がいたら、」 以降を自分に重ね合わせて読んだ方は、足し算の女性ということになろうかと思いますが・・

心屋さんは下記のように続けます。

” 実際には、どうでしょう?これが皮肉なことに、なーんにもしないその子のほうが、モテたりするんです! “(p18-20)

という心屋さんのご経験談なのか目撃談なのか、この状況(毎回と言わないまでも、そうなるのが)私も分かるような気がします。

なお、タイトルになっている「ゲス」とは、品性がなく卑しいこと。

心屋さんの見立てではシンデレラは周囲からのイジメにもめげず、最初から王子様に見初められる自信の持ち主であったと、そのふてぶてしさを「ゲスデレラ」といった表現で讃えています。

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サイン会の様子(写真左中央の男性が心屋仁之助さん)

本書では「足し算の女」の心理を紐解いて「引き算の女」に変わることへの勧めが説かれているのが主題となっています。

「引き算の女」とは、端的に

” 男になにもしない女性のこと。それどころか、してもらうばっかりの女性のことです。言い換えれば、受け取り上手な人”(p22)

と説明。これは心屋さん各著作で通じるメッセージの本質である

” なにも足していない、なにも積み上げていない自信は、決して崩れません。崩れようがないからです。”(p116)

ここに自分の原点を見出し、そして次のステップ:甘える練習をして、愛されることを実感しよう

というもの。これは、

” 人に迷惑をかけるというのは、つまり、人に甘えるということ。長い間、「いい人」になるためにがんばってきた人にとっては、甘え方がわからない人が、たくさんいます。

甘えるって、具体的には次のようなことです。

  • その人に手間ヒマをかけさせる。

  • その人の時間を奪う。

  • その人にイヤな思いをさせる。

足し算の女にとって、甘えることは、本当に難しいんです。なかなか人の好意に甘えられません。人に助けてって言えません。

もし好意を得たら、今度は「お返しをしなければ!」と、またがんばってしまうから。

もし誰かに助けてもらったら、「申し訳ない」って自分を責めてしまうからです。

甘え方がわからないのは、甘えられたことがないから。そして甘えないように、がんばってきたからです。

・・中略・・

私のために、手間ヒマかけてください。私のために、時間を使ってください。私のために、イヤなことも引き受けてください。

これらをちゃんと、相手にしてもらいましょう。それが甘えるということ。

ずっと「いい人」をやってきた足し算の女は、甘えようとしても、相手に迷惑がかからない範囲でしか、甘えられなかったはずです。

相手の様子をうかがって「あ、大丈夫だ」と思ったら、ちょっと甘えてみる・・・という感じ。

でも、迷惑をかけるくらいのことをやらなければ、甘えたことにはなりません。

今までさんざん「いい人」をやってきた人にとっては、これくらいやってちょうどいいんです。図々しくいきましょう(笑)

実際に甘えて迷惑をかけてみると「それでも自分は嫌われない」ということ、自分が恐れていたことなんて、全然、おきなかったということに気がつきますよ。”(p157-160)

この事の根底にあるのは、

” 彼もあなたのために、いろいろやってあげたいと思っているんです。

あなたが「迷惑をかけないようにがんばる」ということは、彼があなたのために「やってあげたい」という気持ちを奪ってしまうこと。

それは、相手の自信をどんどん奪ってしまうことにつながっています。

・・中略・・

迷惑をかけるということは、相手を役に立たせてあげるということ。相手に役立つ喜びを与えることでもあります。

迷惑をかけても、きっと、彼は受け止めてくれるはずですよ。”(p156-157)

という循環。持ちつ持たれつのバランスを均衡させることで、それまで上手くいかなかった恋の行方が、それまでと違う展開を呼び込む事として説明されています。

私は「どうなんだろう?」と感じるところあり完全同意といかないまでも、今まで辿ったアプローチで上手くいかなかったのであれば、別の試みにチャレンジしてみることは大事と感じました。

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SNSと恋愛のパラレルならざる関係の仮説

以下、話しを本書の切り口となっている「恋愛」について、私が普段感じていること。

 *私のニュースフィードから漠然と抱いた雑感で(性別を含め)個人を土台にしたものではありませんので念のため。

SNS(限りなくFacebook)の普及により、それ以前に比べて男女の関係が上手く進むのが難しくなっている感覚を抱いています。

一つはプライベートのあらゆる事がイベント(投稿)の対象となり、その(公開)度合いが共有されていないと、お互いが「いい感じ」でいれなくなってしまうということ。

共有とは、例えば食事時間帯の携帯電話操作(SNS対応等)、カメラ撮影の感覚の一致は得られているか。因みに私は聞かれれば「どうぞ」といった消極派です。

Facebookで両者が繋がっていた場合、望むと望まないにかかわらず発信された情報(例えば食事、睡眠時間、世相を斬る、本人にしか分からない内省など。その全てまたは何れか)が目に触れる形式となっており、それが積み重なっていくと発信者が意図していない心証が形成されてしまう可能性が高いように思います。

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先日、ニュースフィードに流れてきた記事(画像は記事にリンク)。人それぞれ好き嫌いがあるので、投稿が特定のジャンルに偏っている場合、Facebookページ、コミュニティの活用が有効と考えます。私の場合だと洋楽(Rock)とか。

それを回避するには、発信するメッセージを絞るか(世の中、他人に影響されない)、話題ごとにFacebookページ、コミュニティを用意しておくことは配慮につながるものと考えます。

もう一つは、SNSの手軽さ、便利さに対して、恋愛は相手を理解するのに多分のパワーを要するということ。SNS基準に慣れていると、いざという時に上げるのが大変ではないかといった。

出会いの手段が多様化したことで「この人(女性、男性)でなくても、また、別の人」という選択(リセット)をしやすくなっている状況はインターネットの普及時点で言われていたことですが、SNSの浸透で人と知り合える機会は格段に広がりました。

SNSが一対多の形式でコミュニケーションが進められるのに対して、恋愛になると一対一と距離が一気に近づき、一対多の感じに慣れていると、切り替える感覚に苦労するときがあるように思います。

(同級生など一対一で関係を築いてきた人たちと、一対多のコミュニケーションに切り替えるのは楽だけど、オンラインの一対多から始まると一対一になった際に距離感を取りづらい時あり)

一人に入り込んでいくと、一対多で展開するコミュニケーションの優先度が低下する面もあるかもしれません。

把握している事例は幾つかといったレベルで傾向とは言えないかもしれませんが、恋愛関係が始まってからSNSの投稿が著しく減る( or いなくなる)人や「しばらく見ないなぁ」なんて思っていたら、突然、結婚報告が上がってきたり。

こういった事象を何回か目の当たりにすると、SNS(の積極利用)と恋愛がパラレル(同時進行)で進行していくことは容易ならざる面がありそうです。

良い悪いの話しではなく個人の自由に委ねられる事柄ですが、SNSの利用者が増えていった反面、久々、今回のようなテーマの本を読んで(こういった本が出版される背景には、恋に悩む女性からの相談が多いのであろうと)、恋愛に積極的な人たちが減っているのでは?との仮説が浮かび上がってきたようなところ。

私が言わんとしたかったのは、本人の魅力が伝わるであろうSNSとの程よい距離感。SNSがあってもなくても自分と身近な人たちとの快適な(SNSに依存しない)プライベート環境。

恋愛の面からその実現には(本書での)心屋さんの主張とは相対してしまうかもしれませんが、気になる異性に出会ったら男でも女でも「仕掛ける(誘う)」ということ。それが(恋愛なり交友関係で)望む結果を得る最善の方法であろうというのが、恋愛論を語ったことなきもののモノローグです(ペコリ)

 


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