先週末(2025/7/6)、

中間記をアップロードした細田昌志さんの『格闘技が紅白に勝った日 2003年大晦日興行戦争の記録』を一昨日読了。
その(中間記)後、読み進めた
第7章 猪木、雲隠れ
第8章 ヒョードル来日
第9章 大晦日狂騒曲
第10章 格闘技が紅白に勝った日
終章 勝者なき戦争
で、話しは次第にタイトル(=格闘技が紅白に勝った日)に掲げられた
” ビデオリサーチ社が、毎分視聴率の計測に重点を置くようになったのは、リモコン使用が主となった1985年以降だが、大晦日に限っては、どれほど紅白歌合戦が視聴率を下げようと、瞬間でも紅白を上回る裏番組が現れることはなかった。
それが、2003年大晦日は、歴史が塗り替わった年となった。”(p379-380)
核心に迫る形となり、偉業に相当する光あれば
” 『宮本プロデューサーと、事前に赤坂プリンスホテルで打ち合わせをして、そこから一緒に日本テレビに行ったんですけど、その行く過程で、宮本プロデューサーから『視聴率がかなり悪かったので、ひょっとしたら、何千万か減額ということを言ってくるかもわからないんで』と。”(p381)
と
” 大混乱として伝わる「民放3局同時格闘技中継」”(p381)
の闇にも焦点が当てられ、ひいては地上波から格闘技中継が姿を消す導火線といえる『週刊現代』での特集まで。
迷宮入り寸前の決断
細田昌志さんが本書刊行の前段となる連載へ向け腰を上げられたのは、
” そして何より、2003年大晦日の格闘技興行戦争は、今まで誰も手を付けていない、迷宮入り寸前の案件である。”(p424)
という背景あってのことで、
” 2024年春に連載が終わると、原稿を再構成し、書籍化に向けて進み始めた9月上旬、川又氏にすべての原稿をメールで送り「不適切な箇所があれば、指摘して下さい」と伝えた。 ・・中略・・
しかし「やめにする、自分の箇所は削るように」と告げられた。そう言われた以上、直に聞いた証言はすべて削除した。”(p426)
(2025年)4月末に開催された刊行記念トークイベントにおいて細田昌志さん及び石井和義館長を頂戴したサイン
或いは
” 筆者が『日刊ゲンダイ』の米田デスクに川又誠矢を引き合わされたことが、連載が始まる契機となったことは前章で述べた。程なく、筆者は石井和義と榊原信行に手紙を書き送るも、榊原からは梨の礫だった。その後も、知人を介して取材の可能性を探ってみたが、やんわりと拒まれた。現在もRIZINのCEOとして辣腕を振るっている彼からすれば、取材に応じるリスクもそうだが「回想するなんて時期尚早」と言いたかったのかもしれない。”(p145)
という事情はあるにせよ、人名に金額に具体的な記述で埋め尽くされ400頁超の厚みに沿った読後感を得られました。
また、本筋ではないながら長州力対ヒクソン・グレイシーが実現に至らなかった推量、若乃花及び貴乃花へ向けられた誘い水への反応といった記述も含め読前の期待に沿った読み応えを得られました。