Greg Renoffが辿ったロック界の黄金期を築いたプロデューサーの軌跡:『プラチナ・ディスクはいかにして生まれたのか テッド・テンプルマンの音楽人生』読了 1/2

先日、中間記↓を

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アップロードしていた『プラチナ・ディスクはいかにして生まれたのか テッド・テンプルマンの音楽人生』をその後、

 第10章 ホワット・ア・フール・ビリーヴス

 第11章 ロックン・ロール・ベイビー

 第12章 ジャンプ

 第13章 分裂

 第14章 5150への復帰

 第15章 駆り立てるもの

 第16章 兄弟

と読み進めて読了。当初は、一気に読了記と考えていたものの書き留めきれないので、2回に分けるうちの前編。

絶頂と崩壊への階段

章のタイトルの如く、第11章 ロックン・ロール・ベイビー に、第12章 ジャンプ 等、VAN HALENに関する記述が濃密となり、

” 1979年のツアーが終わる頃、私はフェニックスで彼らのライヴを観た。私は可能な時はいつでも、彼らのライヴを観ることにしていた。彼らの次のアルバムに使えるちょっとアイディアが見つかると知ったからだ。

その夜、私はステージの袖に立って、眺めていた。曲間でデイヴは、観客席のセクシーな女の子達について話し始めた。彼はこんなことを言ったのだ。「お前達、アリゾナの男達は、ラッキーだよな! そうだろ。誰もが欲しがってる。俺だって欲しいんだから! お前達みんなどうだ?」観客は大盛り上がりだ。

ライヴの後、私は楽屋へ行った。デイヴを捕まえると「さっきの台詞をノートに書き留めておけ。曲の素晴らしいアイディアになるから」と言ったよ。これが <エヴリバディ/Everybody Wants Some!!>の始まりだった。”(p373)

というVAN HALENと知恵袋としての蜜なる距離感に、

” そこから数日間、エディはマイケルとアレックスとデイヴと私に、彼の曲のアイディアを聴かせた。その中には、後に<ジャンプ/Jump>となる曲のデモも含め、シンセサイザーを使ったものがいくつも入っていた。エディはこのデモを、それまでの1〜2年の間、みんなに聴かせていたのだ。

・・中略・・

聴き終わると、エディは<ジャンプ>を擁護した。私は正直な人間だったので、こう述べた。「ちょっと待ってくれ。私はヘヴィ・メタル・バンドと契約したのだ。ヴァン・ヘイレンがキーボードを使うなら、<ロックン・ロール・ベイビー>や<サンデイ・アフターヌーン>のようにもっと危険な感じの音にするべきだ。

聴き手の感覚を打ち砕き、耳から流血するようなものにするべきなんだ。このリフは、まるで野球のイニング間に聞こえてくるキーボード演奏のようだ。だから、私は夢中になれないよ」”(p414)

と遂に迎える絶頂期へと駆け上がる足音に、

その一方で

” サンセット・サウンドやアミーゴで作業をしていた時は、スケジュールを守っていた。当時は、自分達がスタジオを去る予定の日の翌日には、既に別のアーティストがスタジオを押さえていたからね。

もちろん、街の別のスタジオに移ることは出来たよ。だが、プロデューサーとしては、出来ればそれは避けたい。

締め切りを過ぎてまで作業をするのは、時間と金の無駄だ。レコード制作中に不必要な費用がかさむのは、私も含め、誰も望んではいない。あっという間に請求書が山になってくのだから。

それはアーティストとレーベルの金に跳ね返ってくる。だからこそ私は、ヴァン・ヘイレンの最初の5枚のアルバムは、予算内で、締め切りどおりに仕上げたのだ。

だが、5150ではそういった要素が関わってくることはなかった。”(p425)

と後にDavid Lee Rothの脱退劇にまで発展してしまうEddie Van Halenが自宅裏庭に構えたホーム・スタジオ5150 によって次第に狂わされていく人間模様に・・

最終ページ(p563/別途、グレッグ・レノフによるあとがき)に至る遥か手前で読み応え十二分でVAN HALENファンとしてはマストな一冊であることを知らしめられた著書でありました。


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