加藤一二三九段に学ぶ、負けても希望を捨てない極意:『負けて強くなる 通算1100敗から学んだ直感精読の心得』読了

先ごろ惜しまれながら引退した加藤一二三九段が、将棋界で前人未到の1,100敗を記録し、(出版時点)棋士生活60周年を迎えるに当たり、「負け」に焦点を当て上梓された

『負けて強くなる 通算1100敗から学んだ直感精読の心得』を読了。

<< 2017年7月31日投稿:画像は記事にリンク >> 将棋界のレジェンド加藤一二三九段を間近にして勝負師としての自負と矜持を感じてきた:加藤一二三九段トーク&サイン会 参加記

7月末に参加したトーク&サイン会↑に参加すべく対象書籍のうちの1冊に選ばれていて手にした一冊。

負けて強くなった極意

本のはじめ「まえがき」で、

” 残念なことに、世の中には一般的な「負け」を引きずり、成功の一歩手前であきらめてしまう人がとても多いように思います。

しかし、それこそが「真の敗北」なのではないでしょうか。

私は千を超える「負け」を重ねながらも、けっして腐ることなく「敗北」を糧として立ち上がり、敗北を上回る数の「勝利」を収めながら対局数を着実に伸ばしてきたわけです。

断言します。私は負けて強くなったのです。”(p6-7)

” どんなに勝ちたくても、人は生きていく上で敗北を経験せずにいられない存在であることも、また揺るぎない事実です。

大切なのは、いかなる逆境の中、挫折感や敗北感に打ちひしがれるようなことに出くわしたとしても、けっして「希望」を捨てない不撓不屈の精神なのではないでしょうか。”(p4)

といった人生観、読者へのメッセージが示され、本編に誘(いざな)われていきます。

誰しもミスは免れない

そこで印象に残ったのは、将棋界にとどまらず社会に名を残した棋士でも対局中に勝敗に直結するミスを犯すこと(が少なくない)。

プロ野球で名を遺した野村克也さんの言葉

“「勝ち」に不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」 “(p93)

が引用され、

” どうやっても自分が負けの時に相手が勝ちを逃すのは、運としか言いようがありません。どんな人にもミスが出るということです。”(p93)

と説明されていますが、将棋に限らす「負け」ることは避けられぬも、そこから学び、いかに立ち直るかが重要だと。

「直感」を信じられるか否かの分岐点

また、タイトルを掴めるか掴めないか、そこには思い切りが肝心だとの指摘も印象的で

” ある局面を見るとだいたい指し手が瞬時に浮かびます。そのパッとひらめいた手が直感ですね。

私の経験上、直感は90%ほどの確率で好手です。敗戦の大多数は直感で浮かんだ手を指さなかった場合がほとんどですね。

ではなぜ指さなかったのかと言われると、ぐうの音も出ませんが、一つ理由を挙げましょう。

形勢が良い局面で、直感で浮かんだ手が同時にリスクも大きい場合、リスクが低い緩やかな手を指すことがあります。

リスクの高い手は正しく指せば最速で勝ちに結びつくのですが、一手間違えるとあっという間にひっくり返されてしまいます。

対してリスクの低い手にはそのような心配はありません。ですが局面が緩やかになるので、気づいたら負かされていたということにもなりかねません。

「なぜ直感を信じなかったのか」と悔やんだことは数えきれません。思い切って指すのが大事なのです。”(p202-23)

このあたり将棋の世界に限った心がけと捉えず、特に本の後半はクリスチャンである加藤一二三九段の聖書からの引用、啓示といったお話しもあり、重みを伴って脳裏に刻まれた箇所でした。

加藤一二三九段が信仰他から見出したもの

本書が出版されたのは2014年4月と三年半遡り、2017年に入り、加藤一二三九段は引退を強いられ、第一線を退くことになり、

本書が縁となったトーク&サイン会も「引退」が媒介となってのことであろうと。

その時(トーク&サイン会)に感じた勝負師としての自負が、「神武以来の大天才」と幼少の頃に称された才能に端を発し、

棋士生活の中で得られた経験に、そこにキリスト教の信仰が相まって培われたものに触れた思いで、

時代を築いた棋士の「負け」を通じて得られた人生観が興味深かったです。

 


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