川淵三郎さんが遂げたJリーグ創設、Bリーグ再建の舞台裏:『黙ってられるか』読了

Jリーグ初代チェアマンとしてお馴染み川淵三郎さんの『黙ってられるか』を読了。現職は、日本トップリーグ連携機構会長。

先月(2019年3月)往訪したスポーツビジネス産業展で

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川淵三郎さんが基調講演に登壇されることがきっかけとなり、購入していた著書。

B.LEAGUE実現への視座

Jリーグ創設にとどまらず、分断されていた日本のバスケットボールリーグをB.LEAGUEにまとめ上げた手腕に主な興味がありましたが

” 成功するためのキーポイントがいくつかあった。

まずは地域との連携だ。バスケットボールで盛り上がっていくには、地域密着型のエンターテインメントにならなくてはならない。

しかし、NBLのチームを運営している企業には、その視点がなかった。マーケティング方法や経営についての考え方も、アマチュアそのものだった。

彼らの発想は、まず予算が先に来る。つまり、お金がこれだけ集まったからこの範囲で運営していこうという考え方だ。

そうではなく、プロとしてやっていくには、まずはいくら必要かと考えるべきなのに。

・・中略・・

優勝したら1億円もらえるというのと、優勝しても300万円しかもらえないというのとでは、世間におけるバスケットボールのイメージもまったく異なる。

賞金にそれくらいの額を出し、運営費にはこれくらい必要・・・と考えていくと、最低20億円は、スポンサーから集めなくてはならない。”(p14-15)

という偉業(と感じられる)舞台裏に

” あらゆる問題は複数の人間の複数の動機によって引き起こされている。それを時に丁寧にときほぐし、時に厳しく指導するといった仕事は誰にでもできるものではない。

それができる人材が周りにいてくれたことは、本当に幸運だった。

僕はすぐに怒るし、厳しい。誰に対しても常に気持ちよく接しているわけではない。怖がられることも多いし、敵も多い。”(p24)

という着眼点、巡り合わせに・・

さまざまな本書でしか知ることの出来ない記述が散見されます。

Jリーグ創設への原体験

また、

” そう考えたときに、自分に何もないことに気が付いた。会社の名刺を持っていないと何も出来ないのだ。

会社があってこそ、今の自分があるということを痛切に感じた。本当に情けなかった。”(p46)

という日本サッカーに身を捧げることになった原体験に、

” 何のために働くのか、自分は何のために生きているのか、明確なヴィジョンを持たずにきたことに気が付き、目が覚めた。

・・中略・・

なにも、大それた目標でなくてもいい。ただ、サラリーマンでも学生でも、こんなことができたらいいなという夢、つまりヴィジョンがあって努力するのと、そうでないのとでは、やりがいも変わってくるはずだ。”(p49-50)

多くの人にとってはプロリーグ創設、再建といったことは現実味に欠けてしまいますが、ことの大小に関わらず思いを実現する礎に、

或いは、これもサラリーマンの古河電工時代

” 担当していた工場に社長が視察に来たことがあった。その時、社長を案内していた上司から「写真を撮れ」「そこは邪魔だからどけ」などと言われた。

普段は威張っている人ではないのだが、その時は余裕がなかったのか、ものすごく偉そうな言い方だった。

人前でそんな言い方をされた僕のプライドは傷ついたし、すごく腹が立った。

そして、「こんなところでやってられっか」と、その日のうちに大阪の実家に帰ってしまった。”(p34-35)

という生きざまの感じられるエピソードに(笑)

巻末にはJリーグ創設前に舌戦を繰り広げた渡邉恒雄 読売新聞グループ本社主筆との特別対談も収録されていますが、

プロ野球以外にもサッカー、バスケットボールとスポーツシーンが熱気を帯びてきたその舞台裏に、

その現実を中心となって動かしてきたキーパーソン=川淵三郎さんの思い、生きざまに・・

さまざまなことに触れられることの出来る著書です。


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