見城徹さんが、編集者として貫いてきた生きざま:『編集者という病い』読了

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見城徹さんの『編集者という病い』を読了。

本書は、

” 膨大な種々雑多な記事やインタビュー、文章の中からいくつかを選び、編集し直したものです。

内容や文章がダブったり、矛盾しているかもしれませんが、あえてそのまま収録しました。

締切に追われて、かつての文章から一部そのまま引用したものもあります。

雑誌の特集のテーマが決められていて喋ったために文字にするとオーバーな表現になってしまったものもあります。

でも、それがその時の僕なのです。それぞれの背後に僕の「暗闇のなかでのジャンプ」が色濃く反映されているはずです。

それを感じ取っていただければ幸甚です。”(p298)

という素材、背景から編集、構成された著書。なお、初版は2007年3月。

産みのその壮絶なる

(読み始め記、以後)読み進めたのは、

 第一章 SOUL OF AUTHOR

 第二章 SOUL OF EDITOR

 第三章 SOUL OFPUBLISHER

と章立てされているうちの第一章の半分程度(p81〜)か最終頁まで。

第一章は、出版に至るまで表現者と向き合ったエピソードが目立ちましたが、

次第に主体が見城徹さん自身の内面にウェートが移行していって、

” 書いてる作品やつくってる曲がいいなぁと思わなければ、どんなに居心地のいいやつでも、付き合う必要はない。

でも、どんなにわがままで、どんなに嫌なやつでも、どんなに自分を振り回すやつでも、作品でぼくを感動させてくれさえすれば、殺人をしようと何をしようと、ぼくはそいつと仕事したいし、そいつと切り結びたい。”(p153)

” 「凶暴って、結局臆病なんです。臆病だからいつも最終決戦なんですよ。だから、『ヒンシュクは金を出してでも買え』っていうことになるわけだけど・・・。

もう夜なんか眠れない。毎日ですよ。考えると怖くなってきて、涙がボロボロ出て止まらない日がある。

悪い方、悪い方に考える。女性や酒に行こうとしても、自分が埋められない。

もうこれ以上できないという努力をして全部仕組みも作った、後は運を天にまかすだけだと思っていても、やっぱり臆病だから不安なんだよね。

だからいつも心は凶暴にしておくんです。」”(p172)

といった仕事を通じ示される見城徹さんの人生観を随所に読み取れる中、最も強烈なのは

” ヘミングウェイが「勝者には何もやるな」と言ったときに、それは、単なる勝ち負けの話じゃなくて、自分があらゆるバーを超え、あらゆる努力をして何かを勝ち取ったときには別にもう何もいらない、という意味になる。ホント、いまでもこの言葉は力になりますよ。”(p129-130)

の部分、本書冒頭でもヘミングウェイの「勝者に何ものを与えぬこと」を一文が載せられていますが、ここに見城徹さんの主張がよく凝縮されているように。

そして幻冬舎

また、角川書店の役員を辞して、五人の仲間たちと起業した幻冬舎

” 常識を壊して戦わない限りこっちは勝ち目がないと思った。文庫の時も光文社が三一冊六億円の規模でやったから俺は二倍の六二冊一二億円の規模で立ち上げたんです。」”(p169)

“「基本的に、僕のやり方、幻冬者のやり方の根底には、常識や制度と闘い、それを破壊するということがあるんです。

薄氷はできるだけ薄くして踏めとか、顰蹙は金を出してでも買えとか。全部ものすごくリスキーですよ。でもリスクを恐れていたら、何も始まらない。」”(p221)

に込められた思いに。

タイトルに掲げられた『編集者という病い』の「病い」の部分、病的なまでの執着が色濃く感じられる内容で、

全299頁の分量と相まって、読後、ずしっとした重みが読み応えとして感じられました。


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