高城剛さんが描く100の近未来に考えさせられた:『2035年の世界』読了

図書館の蔵書で気になった高城剛さんの『2035年の世界』を一気に(1日で)読了。

「身体科学」「科学」「移動」「スタイル」「リスク」「政治」「経済」「環境」の各分野で、高城さんが予想する未来について書かれた一冊。

「はじめに」で

” 本書は、およそ8から9年に一度出版している私見的な未来予測の本である。” (p4)

とあり、同様の事は以前にも上梓されている模様。

8分野で、100の未来予想が成されており、以下では特に印象的であったところを3つ。

23. No move, No life

”  20世紀後半は、「マス」や「デジタル」といったテーマを軸に世界は変わってきた。では、21世紀前半の大きなテーマは何か。

いくつか考えられるが、なかでも最大のテーマは「移動」だろう。

一カ所に定住するのは、ビジネスチャンスも小さく、非常にリスクが高い生き方となる。 ・・中略・・

不利なのは緊急事態が発生したときだけではない。移動ができない人は、ビジネスの機会も制限されていく。

たとえば国境の向こうに自分の理想の仕事があっても、いまいるところから動こうとしない人はそのチャンスをつかめない。 ・・中略・・

21世紀は国家が融解して移動が大幅に自由になり、技術の進歩によって移動や通信のコストもさらに下がっていく。

ASEANは50年かけて、EU(欧州連合)のような大きな地域にまとまっていき、域内の移動促進に拍車がかかるだろう。

そして、おそらく日本はその域内には入っていない。

人は5つの土地を行き来すべきだとよく言われる。「生まれた土地」「パスポートを持つ土地」「仕事をする土地」「資産を持つ土地」「遊ぶ土地」だ。

20世紀においては、これらひとつの国であることは、当たり前だった。

しかし、21世紀は移動しながら「分散」と「統合」を繰り返すことが、

個人でも企業でも国家でも取り組むべき大きな課題であることは間違いないだろう。” (p58-59)

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35. 自分探索

” 現代人は、自分探しが好きだ。「自分がいったい何者なのか」という疑問は、僕たちを惹きつけて離さない永遠のテーマだと思う。 ・・中略・・

しかし、近い未来、この「自分はいったい何者なのか」という疑問を自分で考える必要はなくなる。

なぜなら、コンピュータのほうが自分より自分について詳しい時代がやってくるからだ。

コンピュータを使った自分探しの歴史は、対抗文化世代からはじまった。

ハーバード大の心理学者ティモシー・リアリーが「マインド・ミラー」という自己診断プログラムを発表したのは、1983年のことだった。

いまは当時より遥かにテクノロジーが進化し、自分のデータを入力しなくても、

アマゾンやiTunesが「未来の自分の欲しいもの」を教えてくれるようになっている。

現在は商品をレコメンドしてくれる程度だが、さらに進化すれば、

自分が食べたいもの、行きたいところ、言いたいこと、やらねばならないことなどを教えてくれるようになる。

こうなると、もう自分のことを自分で考える必要はない。

自分で自分を調べる自己検索で、すべて事足りるのだ。

自分が何者かという問いも、AI(人口知能)の思考力が人間を超える2045年以降は不要になる。

自分よりAIのほうが賢いのだから、一人で自己対話するより、コンピュータに相談したほうがずっと納得できる答えを得られるだろう。

そこには全人類の英知もシェアされているはずだ。もちろん、スポンサーつきで。

そうなると人間の関心は、自分という存在から、自分を超えた存在へと移っていくだろう。

人間は何のために存在しているのか。世界とは何なのか。

この世に神はいるのだろうか。こうした問いこそが人間を惹きつける。

21世紀後半は、宗教と哲学の時代になるのだ。もちろん、スポンサーつきで。” (p84-85)

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51. 人生100年時代における「第二の人生」

” 人の晩年は、電球にたとえられる。年齢を重ねるにつれて弱っていくのは徐々にチカチカしてつかなくなる「蛍光灯型」。

それに対して、最期までずっと元気で、あるときプチッと消えるのは「白熱灯型」だ。

これまで白熱灯型が理想的だといわれてきたが、今後は第三の生き方に注目が集まるだろう。それは「LED型」である。

いつまでも明るさをキープしたまま、飛躍的に寿命が延びていくわけだ。

LED型になると、心配なのは身体より心のほうだ。 ・・中略・・

平均寿命が82歳のいまでも、すでにリタイアした人たちは暇を持て余している。これが人生100年時代に入ったらどうなるのか。

おそらく第二の人生の過ごし方が、いまよりもっと深刻な社会問題になるだろう。

ただ、裏を返せば、人生100年時代は、人生を従来の2回分楽しめる時代だといえる。

僕が思うに、まずリタイアという概念がなくなる。60代で会社を定年退職してもまだピンピンしているのだから、

おそらくその年齢から起業したり就職し直す人が激増する。国も年金を払いたくないから、その流れを後押しする。 ・・中略・・

もちろん同じ第二の人生を送るにしても、生活のためや暇だから仕方がなく働く人と、

好奇心を持ってアクティブに動く人では充実度が違うのは、言うまでもない。 ” (p118-119)

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想像力を刺激され、感じるワクワク

複数に及ぶ分野で100の未来像を提示するという頭の柔らかさだけでも特筆もので、

本書の価値(当たる当たらずは別個の問題として)を際立たせています。

そこには定住することなく世界を飛び回っている高城さんならではライフスタイルが大きく作用していて

世界で様々な場に立ち会って、見聞きした内容が昇華され、本文につながっていると思います。

別の本の高城さんのレビューで・・

” この値段でその実情を数時間で垣間見れる事に感謝。”

と書かれていましたが、正にその通り。

取り上げた3項目の中で「No move, No Life」の箇所に憧れ、「自分検索」の箇所で考えさせられといった

読書中の経過でしたが、「自分検索」は多分に自分で考える事をせずに

判断を他人に委ねてしまっている現状は私を含め多くの人にとって思い当たる事と思いますが

その状況から高城さんの描いた未来の蓋然性は高いと思いました。それは恐れるべき未来でもありますね・・

久々の高城本(下記)でしたが・・

▪️『私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。』

>> 高城剛さんが説く、1日10分自分と向き合う事の大切さ:『私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。』中間報告 <<

>> 高城剛さんは説く、自分の可能性を、どんなに大変でも追求する事:『私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。』読了 <<

▪️『黒本』

>> 高城剛さんがオブラート無しで語る日本の未来って?:『黒本』読了 <<

▪️『白本』

>> 高城剛さんのライフスタイルから導かれた答えに感じる生き方:『白本』その弐 <<

>> 高城剛さんのライフスタイルから導かれた答えに感じる生き方:『白本』その壱 <<

賛否何れの立場でも高城さんが描く未来から、大いに想像力に旅させてくれる一冊でありました。


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