高橋陽一さんが『キャプテン翼』を通して伝えたかったこと:『キャプテン翼のつくり方』読了

漫画家 高橋陽一さんの自叙伝

『キャプテン翼のつくり方』を読了。

本書刊行記念イベントが開催された八重洲ブックセンターで遭遇したサイン本

書店に立ち寄った際、サイン本☝️を見つけたことがキッカケとなって購入。

『キャプテン翼』に込められた思い

「はじめに」で、

” 僕の願いは、『キャプテン翼』を通じて、世界中の子どもたちが、夢を持ってくれることだ。

自分の描いたマンガが、コミックスになり、アニメになり、さまざまな言語に翻訳されて、世界中の子どもたちに親しまれる作品になった。これほど幸せなことはない。

この『キャプテン翼のつくり方』を手に取った子どもたちが、初めて『キャプテン翼』を読んだときと同じように、夢を持つことの大切さを改めて感じてくれることを願う。”(p2-3)

と、本書発刊への思いが綴られており、本編では『キャプテン翼』が完成されていくまでの

” 子どものころからばくぜんと思い続けていたマンガ家という職業も、当時は今以上になるのが難しい職業だった。

たとえ、マンガ家をめざしたとしても、マンガ家になれる保証などまったくない。

そんな甘い世界ではないということは、当時もなんとなくは理解していた。

もし、マンガ家をめざしてなれなかったときには、学歴もなく、仕事のノウハウもない状態で、世間に出ていかなければならない。

ただ、僕が出した答えはやっぱりマンガだった。マンガを書きたかった。真っ白い紙に絵を描いて、登場人物たちを現実の世界のようにいきいきさせたかった。

大好きな絵を描いて物語を展開していくマンガで読む人を感動させる仕事につきたい。めざす未来が定まった。

当時の自分の気持ちとしては、「もしマンガ家になれなかったときには、死ぬしかない」というくらいの覚悟だった。

大げさすぎる表現かもしれないが、実際、本当にそれくらいの気持ちだった。”(p62-63)

という覚悟に、

” 僕にとって最初に電話を取り、プロのマンガ編集者として最初に僕の腕前を公平に見てくれた鈴木さんとの出会いはまさに「一期一会」だった。”(p79)

という出会いに、

” 日本ではまだサッカーは人気度が低かったし、周りを見渡せばサッカーマンガの連載はほとんどない。

つまり、誰かの作品に似てしまう可能性は薄く、むしろオリジナリティーが出せる。

「自分にしか描けないマンガ」はやはりサッカーを題材にしたものなのでは、という確信めいた感覚がわき上がってきた。”(p118)

という『キャプテン翼』が生まれた背景といったことが、綴られています。

そして今も夢に突き進む日々

意外だったのは、

” 僕が夢中になったのが野球とマンガだった。当時の男の子たちにとって、野球というスポーツは、誰もが当然通るべき道のようなものだった。

驚く人もいるかもしれないけれど、サッカーはまだそれほど知られていなかった。一方、野球は親たちの影響もあって日常生活に溶け込んでいた。”(p20)

と高橋陽一さんが野球少年であったこと。

そこから『キャプテン翼』が作られていった背景は上記引用のとおりですが、

そこに至るまでの間は、

” 今だから言えるけれど、平松さん(註:平松伸二さん)のアシスタントを務めながら、徹夜の隙間時間に自分のマンガの作業を進めていたこともある。”(p107)

をはじめ、覚悟のほどがうかがえる描写も散見されます。

購入書籍に書かれてあったサイン

そして『キャプテン翼』で世界中にファンが生まれながらも、

” 愛着のある『キャプテン翼』シリーズの突然の終わりは、マンガ家人生で最も大きな精神的ダメージを受けた。正直に言って、どん底まで落ち込んだ。”(p235)

と試行錯誤、挑戦の日々が続いていながら、本の最後部では、

” 壁にぶち当たったり、悔しい思いをしたり、泣きたくなったりしても、決して諦めない。

めげて立ち止まったりしないで、前を向いて好きなことをとことん続けていく。

僕が描いてきた『キャプテン翼』には、そういった心の強さを持つ少年たちがたくさん登場している。”(p237)

という高橋陽一さんの生きざまに、作品に込められた思いを読み取ることが出来ます。

また、

” 今の僕には新たな夢もできた。僕自身が後援会長を務める南葛SCというサッカークラブのJリーグ昇格だ。”(p246)

と夢を持つことの大切さをご自身で実践されており、

『キャプテン翼』と向き合っていなかった自分ではありますが、本書に載せられた言葉の数々に行動の記録からエールを感じ、力を得ることが出来ました。


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