三宅陽一郎さんに学ぶ、日本の人工知能の発展と受容:『人工知能が「生命」になるとき』読了

先日、中間記⬇︎

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をアップロードした、ゲームAI開発者 三宅陽一郎さんの『人工知能が「生命」になるとき』を読了。

人工知能協調社会、そして日本の道筋

その(中間記)後、読み進めた

 第五章  人工知能が人間を理解する

 第六章  人工知能とオートメーション

 第七章  街、都市、スマートシティ

 第八章  人工知能にとっての言葉

 第九章  社会の骨格としてのマルチエージェント

 第十章  人と人工知能の未来 ー 人間拡張と人工知能

の計六章(別途、おわりに etc)、本の中間部、章によって理解度が低下したりした面は否めずも、

” これからの社会を考える上で重要な視点と原理があります。まず、これからの社会は人間だけのものではない、ということです。

これからの社会は人間と人工知能のものです。人間と人工知能の協調の場として社会があり、機能します。”(p247)

” 人間は社会の歯車ではなく、社会をエンハンスする(加速する、高みに上げる)存在となっていきます。”(p250)

という前提の下、

購入本に書かれていた三宅陽一郎さんのサイン

後半、締めに向かうほど、

 ” 現在、社会にはルールを守らせるだけの仕事がたくさん存在します。そのような仕事は人工知能に任せて、あるいはモニターだけして、最終的な判断は人間が行う、というかたちが考えられます。”(p236)

” 人工知能は社会の重荷を背負ってくれるパートナーなのです。将来は一人につき一体のエージェントが付きっきりになり、またそういったエージェントたちにも働きやすい環境が整備されます。”(p238)

註:エージェント 〜 単一かいくつかの役割を果たすために作られた人工知能

と近未来の在りように、

” 日本には人工知能に関する繊細な感覚があり、我々はその土壌を古くから育んできました。

たくさんの人工知能の方向がある中で、それぞれの文化が人工知能を受容するとき、それぞれの形の人工知能の受容の仕方があり、またその仕方によって培われる技術の傾向も違います。

車作りやバイク作りが日本の十八番になったように、人工知能の一分野であるキャラクター・エージェントについては、日本にはそれを受け入れるユーザーが多数いて、何よりそういったキャラクター・エージェントの多様性を受け入れる土壌があります。

その土壌は、アニメや漫画、S F・ラノベの中に描かれてきた人工知能を通して表現されています。

主従関係だけではなく、仲間として、敵として、人工知能がこれほどバリエーション豊かに描かれた例はありません。”(p295)

と日本が志向すべきであろう方向性に、納得感を持って読了に至ることが出来ました。

冒頭の西洋的、東洋的と大別される人工知能に覚える違和感に始まり、専門性を有しておらずとも分かりやすく、漠然としか描けなかった人工知能が共存する近未来像への示唆をさまざま得られた読書となりました ^^


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