オーストラリアを日豪関係に40年以上携わる田中豊裕さんに学ぶ一冊「友好の歴史と未来への課題。そして留学の舞台裏」:『豪州読本:オーストラリアをまるごと読む』おさらい ㉕

『豪州読本:オーストラリアをまるごと読む』のおさらい編、第25弾.-

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<< 2016年1月14日投稿:画像は記事にリンク >> オーストラリアを日豪関係に40年以上携わる田中豊裕さんに学ぶ一冊「強み弱みを補完する理想のパートナー」:『豪州読本:オーストラリアをまるごと読む』おさらい ㉔

「第十章 日豪関係の歴史と将来」内の「日豪交流の歴史、その躍進」と「安心、安全を買うー留学ー」からの抜粋です。

日豪友好の歴史と嚙み合わぬ思いと

” 日本とオーストラリアの交流の歴史は、今から150年以上前に遡る。

日本は江戸時代の後期、オーストラリアは大英帝国の支配下にあった辺境の植民地でゴールドラッシュに沸き返っていた。

オーストラリアと日本の交流は民間レベルで始まった。

冒険心旺盛な日本の若者が一旗上げようと地球の果てに近いと思われていたオーストラリアにやって来た。

オーストラリア大陸の北部の海域で天然真珠の採取に従事し、真珠産業の発展に貢献した。

真珠産業を皮切りに、他の分野にも進出するようになった。

1897(明治29)年、日本政府はシドニーに領事館を開設した。その後20世紀になっても両国の関係は持続した。

第一次世界大戦が始まるころには、当時の日英同盟に裏打ちされた形で、両国の関係は強くなった。

第一次世界大戦が終わって、世界恐慌の間も良好な日豪関係は維持された。

1928年(昭和3年)には日豪の経済協力促進のため、まずシドニーで日豪協会が設立された。

その後、不幸にも、第二次世界大戦では敵味方で戦った。そのため、両国の関係は一時悪化した。

しかし大戦終了時、両国の親善と友好を促進するため、日豪協会がメルボルンにもできた。

1970年代になると各地で友好親善団体が設立された。

今日では、主要都市ではもちろんのこと、地方都市でも友好団体がつくられて、現在17ほどの豪日協会が盛んに活動をしている。

1970年以降、日豪関係も緊密化して、その飛躍にしたがって日本の企業進出も盛んになり、日本人の滞在者も多くなったので、日本人間の親睦を目的に主要都市では日本人会がつくられている。

また各地の日豪協会同士の交流も行われている。民間レベルでの日豪関係に重要な地位を確立し、今後も大きな役割を果たすであろう。

日本でも各地で日豪協会ができ、現地の協会とも交流を盛んにし、その数は46にもなる。

日豪親善協定が結ばれて30年の歴史があり、政府レベルでも多様な交流が推進されてきた。

また自治体レベルでの交流も盛んで、姉妹提携を結んでいる自治体の数も100を超える。

また、姉妹関係は港、学校、放送局、動植物園などにも及んでいる。”(No.4840-4899)

但し、姉妹提携に関しては日豪でその捉え方に溝があり・・

” オーストラリアサイドと日本サイドでは、姉妹提携の趣旨、目的が異なる場合がある。

日本サイドは純粋な国際交流の立場を取るケースが大勢であるが、オーストラリアサイドは提携によっての実利、つまり経済的恩恵を重視するケースがよくある。

脆弱な財政的な背景を持つオーストラリア側は、納税者や議会を説得するためには交流事業が投資(経費)に対してどれほどリターン(見返り)を期待できるかということに強い関心を持っている。”(No.4490)

と、考え方の相違が浮き彫りとなっているようです。

なお、中央政府レベルでも・・

” オーストラリア側の方が積極的で、オーストラリア連邦政府は、1976年(昭和51)年に豪日交流基金を設立し、

オーストラリア政府の日豪両国の交流を促進する中心的な組織として、教育、文化、ビジネス分野など幅広い日豪関係を強化する活動を展開している。

また各種奨学金や補助金なども準備し、活発な活動や交流を促している。

これに反して、日本政府の対応はさびしい。一般的な国際交流活動には積極的であるが、オーストラリアに特化したものではない。”(No.5008)

と温度差がある状況のようで、日本側の盛り上がりで、また一段、日豪関係の発展があるように感じます。

留学事情 & 実践編

” オーストラリアへの海外からの留学生は、190ヵ国から年間50万人を超えている。アジアからの留学が常に多く、全体の75%を占めている。

しかし、オーストラリアに留学するためには、語学学校や大学院へ留学する人を除いて、相当の英語力が要求される。

つまり、授業が理解でき、自分の考えを表現できなければ入学許可が難しい。

入学する前に英語の集中授業を受け、それにパスすれば入学を許可される。

また、まだ数は少ないが、現地の高校では入学を許可して、入学後普通の勉強と平行して放課後、英語の授業を集中的にやって、授業についていけるようカリキュラムを組んでいるところがある。

オーストラリアは、教育(留学)を輸出の一環とみなしているので大層積極的である。

日本各地で政府が主体になり、オーストラリア留学のセミナーを開催している。

実際、豪州の輸出項目のうちで第一次産品を除けば、教育からの外貨獲得が観光の次に大きいのである。

場所によって留学費用に多少違いがあるが、高校であれば授業料、生活費など1年に1万5,000〜2万ドル程度ですむ(約150〜200万円)。

大学でも約200万円くらいである。もちろん医学部などはこれより割高になるが。

しかし、オーストラリアの教育は厳しい。誰でもが卒業できるとは限らない。よほどしっかり勉強しなければ留年を余儀なくされ、卒業もおぼつかない。

ただ、教育方針は詰め込み主義ではなく、それぞれの生徒の学ぶことに対する関心を鼓舞し、個性を伸ばすことに重点を置いているので、生徒の将来をより豊かにする可能性が高い。

何年か現地で生活すると英語の力も相当つくし、国際感覚も身に着くので投資効果も大きい。

現地で留学するときは、できればホームステイがお勧めである。英語の上達はもちろん、現地の文化、考え方、生き方を直に、生に体験できるからである。

多くのホストファミリーは、留学生から異質の文化を学びたいと思っている。一般的に週150〜250ドルで3食、個室が提供される。

ホームステイは、寮に入ったり、独自にフラット(アパート、マンション)を借りたりするより安上がりである。

学校や民間団体が斡旋をしていて、希望にマッチしたホストファミリーを紹介してくれる。

オーストラリアでのホームステイは、学生に食事と寝泊まり・勉強のための個室を提供することが基本である。

それ以外のことについては、ホストによって大小の違いがある。

違った家庭環境、文化、考え方、スタイルで生活を共にするので苦労はあるが、ある程度は勉強だという認識を持ち、貴重な体験として我慢しなければならないと思う。

契約を違わしたり、耐える限度を超えた場合は、まず最初に世話をしてくれた学校や、民間団体の担当者に相談することである。”(No.5023-5065)

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オーストラリアでのコミュニケーション術

” 日本人は西洋人と違ってまだまだ意思表示が弱く、不明瞭である。オーストラリア社会、家庭での生活においてこの点は改善すべきである。

はっきりと自分の考え、思いを相手に伝えなければならない。

相手は自分の心を読んで行動してくれない。あうんの世界ではない。日本人同士では起こりうることがオーストラリアでは起こらない。

日本ではあまり自分を積極的に表現すると、でしゃばりとか、思いやりがないとか、自分勝手だとか、和を乱すとか言われるかもしれないが、オーストラリアではそうではない。

それよりも自分の考え、感じたことを正確に相手に伝えることが重要である。

これに対して相手も率直に反応する。またそれが好き嫌いの尺度ではないので、日本人はしり込みをしないことである。”(No.5065、5073)

また、大前提として・・

” オーストラリアの社会は、仲間意識、公平、平等の精神がその基盤にあり、日常生活を強く反映している。日本と比べて階級意識は大変薄い。

日本でのお手伝いや家政婦の意識がない。ホームステイを下宿としてとらえ、金を払っているので当然サービスを受け、何でも好きなようにする態度、考え方は大変危険で、オーストラリアでは受け入れられない。”(No.5099)

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留学で最大限の成果を得るために

教育制度、留学事情、オーストラリア人の考え方(価値観)など、本の終盤ということもあり、復習といった意味合いも引用に含まれていますが、

良好な二国間関係を礎に、日本とオーストラリアを繋ぐ手段の成功例として留学が奏功しており、今回の内容から参考になる点があればと思います。

次回、残ったロングステイ(長期滞在)、日豪関係の検証などに触れ、本書のおさらい編を締めくくりたいと思います。

 


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