ユヴァル・ノア・ハラリが迫った、近未来へ向け「今、ここ」で考えるべきこと:『21 LESSONS 21世紀の人類のための21の思考』読了

先週、中間記⬇︎をアップロードしていた

<< 2019年11月27日投稿:画像は記事にリンク >> ユヴァル・ノア・ハラリが迫った、近未来へ向け「今、ここ」で考えるべきこと:『21 LESSONS 21世紀の人類のための21の思考』中間記

Yuval Noah Harari:ユヴァル・ノア・ハラリの『21 Lessons  21世紀の人類のための21の思考 』を読了。

その後、読み進めたのは

III. 絶望と希望

 10. テロ ー パニックを起こすな

 11. 戦争 ー 人間の愚かさをけっして過小評価してはならない

 12. 謙虚さ ー あなたは世界の中心ではない

 13. 神 ー 神の名をみだりに唱えてはならない

 14. 世俗主義 ー 自らの陰の面を認めよ

IV. 真実

 15. 無知 ー あなたは自分で思っているほど多くを知らない

 16. 正義 ー 私たちの正義感は時代後れかもしれない

 17. ポスト・トゥルース ー いつまでも消えないフェイクニュースもある

 18. SF ー 未来は映画で目にするものとは違う

V. レジリエンス

 19. 教育 ー 変化だけが唯一不変

 20. 意味 ー 人生は物語ではない

 21. 瞑想 ー ひたすら観察せよ

の部分で、中盤は

” 世俗主義者は責任を大切にする。彼らは、崇高なる力が存在してこの世界を管理し、邪悪な人を罰し、正義の人に報い、飢饉や疫病や戦争から私たちを守ってくれているとは信じていない。

したがって、生身の人間である私たちが、何であれ自分のすること、しないことのいっさいに責任を負わなければならない。”(位置 No.4200)

といった指摘が含まれる 14.世俗主義 が、少し刺さってきた程度であったものの、

後半、特に 19.教育 に差し掛かると、俄然、興味深くなり、

” そのような世界では、教師が生徒にさらに情報を与えることほど無用な行為はない。

生徒はすでに、とんでもないほどの情報を持っているからだ。人々が必要としているのは、情報ではなく。情報の意味を理解したり、重要なものとそうでないものを見分けたりする能力、

そして何より、大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力だ。”(位置 No.5160)

” より一般的に言うと、学校は専門的な技能に重点を置かず、汎用性のある生活技能を重視するべきだという。

なかでも最も重要なのは、変化に対処し、新しいことを学び、馴染みのない状況下でも心の安定を保つ能力になるだろう。”(位置 No.5178)

或いは

” 人生の基本構造は一変し、不連続性がその最も目立つ特徴となるだろう。

太古から、人生は補完し合う二つの部分に分割されていた。まず学習の時期があり、それに労働の時間が続いた。

人生の第一の時期には、人は情報を蓄積し、技能を伸ばし、世界観を構築し、安定したアイデンティティを築いた。

・・中略・・

だが二一世紀の半ばには、加速する変化に寿命の延びが重なり、この従来のモデルは時代後れになる。

人生はばらばらになり、人生の各時期の間の連続性がしだいに弱まる。「私は何者なのか?」という疑問は、かつてないほど切迫した、ややこしいものとなる。

これには途方も無いレベルのストレスが伴いそうだ。なぜなら、変化はほぼ例外なくストレスに満ちており、ある年齢を過ぎると、たいていの人はどうしても変化を好まなくなるからだ。”(位置 No.5208-5227)

” そのような世界で生き延び、栄えるには、精神的柔軟性と情緒的なバランスがたっぷり必要だ。

自分が最もよく知っているものの一部を捨て去ることを繰り返さざるをえず、未知のものにも平然と対応できなくてはならないだろう。”(位置 No.5247)

更に

” 過去には、大人の教えに従っていれば、まず間違いがなかった。大人たちは世の中をとてもよく知っていたし、世の中の変化はゆっくりしたものだったからだ。

だが、二一世紀にはそうはいかないだろう。変化のペースが加速しているせいで、大人の言うことが時代を超越した叡智なのか、それとも古臭い偏見なのか、けっして確信が持てない。”(位置 No.5265)

といった記述に、時代の捉え、腹落ちさせられる一文に読み応えを感じ、

(本書)他所での言及や既刊『サビエンス全史ー 文明の構造と人類の幸福』&『ホモ・デウスー テクノロジーとサピエンスの未来』での考察と重ね、説得力を伴って伝わってきました。

一読した限りでは、著者の広範に及ぶ専門性、既知のこと(/見解)、予測等を統合して消化出来たことは限られましたが、

興味深く読み込めた部分をつまみ食いするといった感覚で、「今、この時代(今、ここ)」に照準を合わせることに考えを及ばせる過程に、少なからず知的好奇心を刺激されました。


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